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記憶の源泉

メモ書き④
真人間?魔人間?まあ人間
2020年8月13日 00:06
※この記事は記憶整理に仮置きされています。後に一本化する際の枝葉の一部です。

【不明部分】

①特別少年院送致事件につき付属弁護人が行った特別抗告の理由。

【意味不明な封筒】
①中等短期少年院 1枚 (日付から入院通知と推測)
②特別少年院 4枚 (日付:入院から5ヶ月上旬1枚、同下旬1枚、入院から1年5ヶ月頃1枚、入院から1年半頃1枚)
③中等短期少年院事件の家裁1枚
④特別少年院事件の移送前家裁1枚
⑤特別送達1枚
⑥保護観察所1枚

【判明している封筒】
①特別少年院から成人式のご案内 1枚
②接見禁止決定書
③特別少年院から仮退院後の資格送付と近況うかがい

意味不明な封筒群のうち一番気になって調べているのが右下の「最高裁第一小法廷」から親族へ送られて来た封筒です。
事件番号からして「特少事件」の身柄手続きに関連した「特別抗告」であり、中身の書類が見当たらない。
未整理分の書類群から書類が見つかる可能性がありますが、約10年前の引越しにて廃棄している可能性も十分考えられます。

そこで振り返るに、特別少年院事件では付属弁護人2名のうち1名が接見禁止一部解除申立て、勾留理由開示請求、観護措置決定の異議申し立て。この中では観護措置の異議申し立て棄却に対する特別抗告が可能性として高いと思われます。
私自身が行ったのは特別少年院送致相当長期処遇の保護処分決定に際した処遇勧告に対する抗告、抗告棄却決定に伴う再抗告。

【保護処分決定とバラつき比較】
私は正直、意外だったのは自身が特別少年院送致だったので少年Aに初等少年院送致、少年Bに中等少年院送致を言い渡されると予想していました。そこで処遇勧告として私が相当長期処遇だったので、少年Aに長期処遇、少年Bに長期処遇又は比較的長期処遇は付いたと考えていました。
するとAに初等少年院送致/特修短期処遇、Bに中等少年院送致/一般短期処遇の勧告が付いて其々上記に示す短期少年院に送致されました。
その事実を特別少年院に送致されてから11ヶ月後に開かれた「収容継続審判」で知ることになります。
付属弁護人から送付された上記事件記録から抜粋すると、私が保護処分決定を受けた同日に決定を受けていたAは僅か4ヶ月で少年院を仮退院し、私の保護処分決定から遅れること半月後に決定を受けていたBは約5ヶ月半で少年院を仮退院していました。
これもまた驚いたことで、Bについては帰住地調整で収容期間が数ヶ月は延びると予想していましたが、順調に仮退院している事が分かります。
しかしAに関しては驚いた事実として「保護観察期間が3年4ヶ月間」も付いています。非行事実と関与状況や役割と犯罪傾向の進捗状況を鑑みても特別少年院事件に関しては家裁にあまりにもバラつきが目立つと感じられてなりませんでした。
なお、私の「収容期間の終了日」に記載には「収容継続審判」にて「2年」を延長されたものであり、当初の処遇計画には「相当長期処遇による2年」の処遇計画が作成されていました。そのため収容継続審判後に新たに処遇計画が練り直され、再び2級下から再スタートとなりました。
3年設定となった直後はとにかく気鬱な日々が続き、カレンダーを見ることが苦痛でたまりませんでした。
それでも腐れば腐る分だけ調査、謹慎で更に延びると降級で理解させられていますので、とにかくやるしかありません。

順調に2級上へと進級し、あまり期間の事を考えるのを辞めようと気を逸しながらひたむきに生活していたある日の進級式の事です。
予定よりも早く1級下前期へと移行し、頭がちんぷんかんぷんとなりました。
そこで担任のH先生(新入)とS先生(特少)の面接にて、「処遇計画の再々編成」を告げられ、「期間延長された分を仮退院後の保護観察期間に分散」させることで、本退院日が大幅に延びる事になります。

つまり私の設定期間は2年→3年→2年4ヶ月と落ち着きました。

この時は感謝しかありませんでしたが、後に少年院から出たくなくなってくると、その8ヶ月間の短縮が歯がゆくて仕方がなくなります。
私がいた特少で設定期間がおかしな事になっていたのは結構いて、その多くは移送少年で中等H君、中等I君、特少I君など不良移送組、特少ゴスロリ君のような資格移送、特少K君のような医療による専門治療などが挙げられます。
次に初期設定からして中途半端な少年に薬物事犯と性犯で初期設定が1年3ヶ月や1年9ヶ月、G3ではないのに2年半だった後に指名手配君も薬物事犯でした。先生方いわく薬物だと依存症や後遺症の治療期間、性犯も同じく治療期間です。その場合の勧告ですが指名手配君と猥褻目的略取誘拐君は共に相当長期処遇です。1年3ヶ月と1年9ヶ月の少年に関しては中等生であり新入時のオリエンテーションで質問した少年と、もう一人は「比較的短期処遇(10ヶ月)」がうちにいるらしく、その話を聞いた延長に「初期設定が中途半端もいる」という話からです。

私みたく最初は相当長期2年で途中で伸びた少年には中等M君が存在し、彼も2年が3年になった。彼の場合は私より先に入院しているので「収容継続審判の1年目に2年延長」を言い渡されたケースであるかは分かりませんが、彼の意見発表会で「3年」という発言と調査を繰り返していた経緯から中等の先生が「1年も延びて」という発言からです。

結局、逃走企図の謹慎降級降寮以来、昼夜間単独メンバーとなってからは仮退院日が全く予測出来ない状態となりましたが、後に少年院を仮退院したくない時期に至ると、収容継続審判による2年延長は寧ろ私としては良い結果と考えるようになっていたのに、突然また2年4ヶ月設定となりありがた迷惑だと思ってしまうようになります。何故なら少年院から出たくなくなってしまったからです。

その為、新入寮主任H先生に猛抗議しました。「僕は収容継続審判で2年間の収容継続を言い渡されたのにおかしいです」→H先生「だからそこはワシらが加味したったんやないか。お前が一日でも社会に戻って頑張れるようにやね」→「先生方の御気持ちは有り難いんですが遠慮します・・1ヶ月や2ヶ月早くなるならまだしも加味しすぎじゃないですか」→H先生「こんな所に長いことおったらあかん。いずれお前は社会に戻らなあかんのや」
後に特少寮の先生方にも面接の度に「保護観察期間を出来るだけ長く保った方がお前にとって良い」と説得されます。私は別記の通り、保護観察には一切苦痛がありませんので良いのですが、少年院は人生最後の大切な時間でしたから一日でも長くいたくて仕方がなく、そんなに急いで帰らずともいずれ必ず出る日が来るのですから、少しでも改善して戻りたいという思いは相当強かった訳でした。
追記:1級上の手紙より判明したのは少年院と社会の中間クッションとして保護施設での生活期間を確保する目的も有。

ここらへん時系列をもう少し纏めます。設定期間の紆余曲折が本当に頭が痛くなるんですよね。下記写真に再編成された際の詳細がありますのでまた。(この月一発信とは別に特別発信の方にも詳細がある筈なんですよね。別記「我が母校特別少年院」のサムネに使用した茶封筒がどこにしまったのだろう。小一時間探したのですが見当たらないので改めてやります。)
私が収容当時は「旧少年院法」の適用を受けますので、記録右側にある「少年院法第11条第1項但し書き」についても資料として添付しておきます。私のケースや他に初期設定が2年より長い少年は同法但し書きによる収容継続ではありませんが、収容継続には院長の申し出による家裁決定があり、別記「判例夜話①母校編」にも様々なケースを取り上げる中に登場します。
このぐい呑を矯正展で買いに行った日を思い出しますよ。
特別少年院のブースに向かうと殆ど売り切れており、上記写真の6つしか残っていませんでした。
私の大好きな紫色をしたぐい呑を気に入り、スピッツボーカル似のN先生に「その紫のぐい呑一つ買いますよ」と言うと、N先生が「これもどうや?なんならそっちもええぞ」と薦めて来ます。
(他にも回りたいのに困ったなあ・・)と売れ残ったぐい呑を眺めていると、明らかに形がいびつな物や色が少々奇抜に映る物まで残っている訳です。その中から良い物だけを選んで3つぐらいにしておこうかなと迷っていると、何だか中等生の作っている様子が頭にイメージされて来るんですよね。
(きっとこのいびつな形のぐい呑はまだ中間期に編入されたての子で見様見真似で頑張って作ったんだろうな)と思えて来ると、私たち少年に思えてきました。
世間様人様に嫌われて当然の生き方を繰り返して来て、ある日少年院に来たいびつな異形のようなモノだと感じると見捨てられなくなってきて「もう全部買います(^_^;)」N先生「はい〜毎度」でした。
今、窯業科の中等生が作った焼き物を見ていても、それぞれの少年らしさが色濃く表れているように思えてなりません。

【特別少年院における成績推移】
少年院の成績評価は個別の問題性や非行内容に基づいた「段階別到達目標」が通常3つと例外4つ、全院生が同じである「共通項目」が5つある。
共通項目は①規範意識②基本的生活態度③学習態度④対人関係⑤生活設計である。

◆01 d.c.c c.c.c.d.c 総合C
◆02 c.c.c c.c.c.c.c オールC
◆03 c.c.c c.c.c.d.c 総合C 2級上へ進級
◆04 c.c.c c.c.c.d.c 総合C 
◆05 c.c.c c.c.c.c.c オールC 努力賞
◆06 c.c.c c.c.c.c.c オールC
◆07 c.c.c c.c.c.d.c 総合C
◆08 c.c.d c.d.c.d.c 総合C 逃走企図で調査(調査中に指示無視、抗命、職員揶揄追加)
◆09 e.e.e e.e.e.e.e オールE 謹慎17日/1階級降下/降寮 不正理容と職員揶揄で再調査/謹慎7日追加 謹慎態度良好/優良免除4日 処遇計画書の見直し
◆10 d.c.d d.c.d.e.c 総合D 2回目の新入時 新入寮主任の恩恵によりオールE免除 成人式 
◆11 e.e.e e.e.e.e.e オールE 集団寮に4日間復寮 一回目保護房、二回目にて保護房6日籠城 医療少年院へ一時移送してほしい 調査(暴言、
騒音発生、指示無視、落書、不正理容) 謹慎15日
◆12 c.c.c c.c.c.c.c オールC 2級上復級 収容継続審判 M裁判官「奈良少年院長の申し出により2年の収容を延長する」 保護施設と親元の同時調整解除され親元への帰住に切り替わる
◆13 c.c.c c.b.c.d.c 総合C
◆14 c.c.b c.b.b.c.c オールC以上 努力賞2枚目 
◆15 b.c.b b.b.b.c.c 総合B 1級下へ特別進級 (手紙曰く特少で一番輝いていた時とあった。この日を忘れるな)
◆16 c.c.c c.c.c.c.c オールC その後H先生と揉めるが新入寮主任の仲裁により穏便に和解(別記D医師との一件)
◆17 c.c.b c.c.c.c.c オールC以上 昼夜間単独生として特少寮と合流(寮は階下のまま)
◆18 c.b.c.d c.c.c.c.c 総合C ここから段階別到達目標に「右翼思想改善」の4番目が追加 溶試験
◆19 c.b.c.c c.b.b.c.c オールC以上 精励賞 半日外出獲得 1級下後期へ移行 新家庭電器修理技師の通信教育受講開始
◆20 c.c.c.d c.b.b.c.c 総合C 医療少年院へ一時移送されて精神鑑定が受けたいと主張 再審請求したいと言い出す「特別少年院送致相当長期処遇を医療措置終了後特別少年院送致但し相当長期処遇」に変更してほしい(この時点で新入A先生から但し書き送致を聞いていることになる)3度目の保護房へ
◆21 c.c.c.d b.c.b.c.c 総合C 4番目が増えたせいでオールC以上が取れなくなったと悶々とし始める(特別精励賞を取りたがっているからでしょうね)12月23日に大騒動を起こす(気持ちの整理がついてから書きたい)S首席(四国少年院から転勤の)が居室を訪れ開口一番「今から君を調査にします」生活態度不良で調査 弁明書の代わりに処遇審査会?に出頭させてほしいと申し出るも断念 謹慎7日 謹慎途中で異議申し立てを行う 2回目の年越し謹慎で去年の自分に「また同じでごめん」と謝る。去年は情けなくて泣けて来たのに今年は通り越して開き直る。溶接科の残留と特別精励賞と通信教育を失い失望していたところ通信教育のみ戻ってくる
◆22 e.e.e.e e.e.d,e.e 総合E 特別発信ここまで 医療刑務所へ精神鑑定第一回目
◆23 c.c.c.c c.c.b.c.c オールC以上 溶接科へ特別復帰
◆24 c.c.c.c c.c.b.c.c オールC以上 1級上へ進級 努力賞 医療刑務所へ精神鑑定第二回目 浪速少年院から転任されたK先生が担任に変更 更生保護施設への引受面接決定 N先生から漫画を読ませて頂いた時期もこの頃で1級上なら尚更問題無いと感じられて来ました。並行して日本語測定試験問題集と日本語文章能力試験検定4級を勉強し始める(私の自分史が終わってしまい、自分史の代わりに空想小説「森蘭丸」と論文「バモイドオキ神概論」を書いていた。それでN先生が私本を貸してくださった)。毎週水曜日に特少D医師が面談をして下さっていた。
◆25 c.d.c.c c.d.c.d.c 総合C 医療刑務所へ精神鑑定第三回目
◆26 c.d.c.c c.d.c.d.c 総合C
◆27 c.c.b.c c.c.b.c.b オールC以上 医療刑務所へ精神鑑定第四回目 保護会面接へ片道5時間、
委員面接、獲得していた殊遇外出の半日外出により博物館へ、社会見学でハローワークと保護観察所の見学、手紙以降の予定→社会奉仕活動へ下旬、3度目の盆踊り大会、医療刑務所へ精神鑑定第四回目

入院から約28ヶ月、結局最後の調査で失ったのが特別精励賞となった。段階別到達目標の4番目が始まってから本当に大変でした。あと1級上になってから行事が山ほどある上に、精神鑑定最終も控えていたので手紙を書くタイミングが大変だっただろうに。よく全成績を記してくれたと当時の自分に感謝します。

11ヶ月目の落書思い出した。基本的に保護房内で起こした不正事実は免除と説明を受けたのですが、服のファスナーの金具で保護房の板に「七生報國 天皇陛下萬歳」と山口ニ矢烈士を真似て書いたんだ。別記事「保護房生活」に記した通り、保護房に入ってから移送まで気を確かに持つために国歌と軍歌を歌い、壁の文字を見ながら叱咤激励していた。
そしてこれで謹慎解除後に保護房の大掃除をさせられて雑巾で「七生報國 天皇陛下萬歳」をいくら擦っても消えないのは当たり前で、新入寮E先生が笑いながら「○○、お前どうするんや?弁償しなさい」と冗談を言うようになった。それでパテ埋めさせられた。
手紙曰く謹慎15日貰った際にY院長が「5日間の減刑は何でか分かるか?先生らの○○に対しての期待や」と言って下さり、逃走企図一連の謹慎は不貞腐れていたのに、この時だけは最後まで謹慎頑張るぞという思いで臨んだ。
なのでこの時の保護房内の不正事実として別記歌唱リストの放歌と指示無視、異物嚥下(処方されたハルシオンを隠し持って一気飲み)やらは法務教官の言う通りカウントされておらず、さすがに板張りの壁に残ってしまった文字については見過ごせなかったのでしょう。
まだ落書きが消せていない頃に特少タクシー強盗君か中等I君、中等K君、中等O君のいずれかが保護房に入れられた筈で、どんな心境であの落書きを眺めているんだろうなと興味深かった。

3度目保護房後の3度目調査にて行った異議申し立ての趣旨として、調査に係る被疑事実が「生活態度不良」で取られた事が納得いかなかった。それ以前からこちらは必死に「医療少年院に送られるべきだ」と11ヶ月目に際しても主張していた上、それを自分は放置される中で葛藤が続いていたと指摘。
生活態度が不良なのではなく、真剣に自己を見つめた結果、このまま特少の矯正教育のみでは心許ないので、医療の観点からも自分自身を鑑定してもらうための正当な抗議であると主張しました。

調査が3回ということは免れた他の事柄は以下
①加古川から不良移送少年に対する威嚇又は暴言及び騒音発生
 →連日、彼が叫び続けるのでキレて居室扉を蹴り暴言
②単独室でコップに入れて飼っていた蟻と死骸が数匹発覚(不正物品隠匿?もしくは生活態度不良かなぁ)
 →確か溶接科にいた頃で階下に帰ってくると「○○これ何や?」と抜き打ち点検で見つかってしまった。咄嗟に機転を効かせて「窓から侵入して

来るようで困っていたんです。だからコップにチリ紙を被せて蓋をしていたんですよ。先生方もこんな事で一々放置板を下ろされて言われても困るでしょうし」
③2回目新入寮でラジオから音楽に指でリズムを取った騒音発生
 →窓側から巡回してきた中等M先生と目が合うも事なきを得る
④暗号壁叩き会話G君と共謀による不正連絡と騒音発生
 →別記の通り(メモ書き②)
⑤就寝前に新聞が回って来なかったので拗ねて点呼無視で寝る(動作時限違反)
⑥就寝点呼時に新入寮E先生とツボにハマり笑う日が続く(生活態度不良)
⑦昼夜間単独生らと盛り上がってしまう(集団徒党/インフォーマルグループ形成)

思い出す限りこれぐらいでしょう。調査1度目のK先生立会いによる強盗致死君との話し合いにて、語気鋭く申し向けたことは不問とされていました。
次に、もし調査になっていた場合の処分予測ですが、
①は、相手側もかなり悪影響を与えていた事を殆どの先生が見ているだけに多少庇ってもらえたと思うんですよね。
個人的に重くて「院長訓戒」軽くて「首席専門官説諭」で十分だと感じる内容ですが、3回目の調査でも自分の中では首席専門官説諭相当と考えていたのに「謹慎7日」でした。
それらを総合して「謹慎5日」あたりでしょう。
ちなみに中等短期なら寮主任説諭か統括専門官説諭でも何ら不思議ではないかな。

②は、溶接科に編入直後だった筈で頑張りだしていた頃なのと、している事が軽微という事情を考慮して指導処分内に留めてもらえたかなと期待してしまうんです。
それでも奈良は本当に不正に対して重く取っていたので、指導処分の中でも最上位の首席専門官説諭かな。
奈良で指導処分を受けた少年は何人か中等生で目にしたが、寮主任説諭は覚えていないなあ。逆にレアに感じられて来て内容が気になります。

③は、まあ不正内容がよくありがちなうっかりやらかす程度で、さすがに指導処分で済むと思われる。調査を取られた時に言い訳や反論を控えたら尚可能性はあるでしょう。
統括専門官説諭あたりなのかなぁ。これで指導処分最上の首席専門官説諭すら重く感じますし、寮主任説諭で十分なところをうちは重いと踏まえて統括専門官説諭。

④は、共犯不正となり、事の発端はG君からですから私より重くなるでしょう。しかしそれに乗った私も積極的になった事から処分の差は然程無かったと思われ、この内容はまず謹慎です。
あとは日数の問題となり、G君に重くて謹慎7日軽くて5日、私が重くて5日軽くて3日。おそらくG君に謹慎5日の私は謹慎3日と予想します。考慮される部分として暗号を打電する音が隣3部屋範囲で届いていたらしく静音を阻害している悪影響を重く見られると思う。

⑤も、指導処分では済まないと思うなあ。院長訓戒か謹慎3日から5日ぐらいでしょうか。また動作時限違反に収まればいいですが、「おーい○○」と暫く呼びかけられた上に応援の先生がやって来て窓側からも来られそうなので、指示無視と生活態度不良のニ事実で持っていかれる事も十分にあり得ます。
すると院長訓戒は温情に思えてならないので、謹慎5日かな。

⑥は、まず異議申し立てをしていた事は確実です(笑)
「E先生を調査にして隣の部屋で座らせて下さい。じゃないと僕は調査なんてやってられません」と言い出しそうで、隣の居室から「12室E、用便お願いします」と先生が申告している姿を思い浮かべながらおかしくなって調査していられなかったと思う。
まあ・・この内容は仮に不利益を被っても「反省」で済んでいた筈。それこそ前記事の逆送少年がH先生と笑い合って反省となったのと同じ内容です。新入生と1級上生という大きな違いにどこまで響いてくるかだと思います。

⑦は、かなり大変な事になる。まず調子に乗った度合いを量る上で、各少年の自己申告から言質を取っていく時間が不正共犯が多いとその分長引くんですよね。
私の1度目の調査を例に挙げても、私が7日目に自白、不正共犯が3日目に自白、強盗致死君は調査解除になるまで5日ほどかかった筈で、ほぼほぼ嫌疑不十分だと判明した頃に調査解除となって帰った事をK先生に怒った。

「なんで強盗致死君は処分を受けずに解除なんですか?一方的に僕たちばっかり疑って不公平ですよ」みたいな能書きを述べた際に、K先生が「あいつはあいつで集団寮に戻ってからも反省生(か内省生)になっとるんや!何言っとるんやほんまに」と怒っておられた。

なので階下生が多い時に集団徒党を取られていたら、中等K君、中等Y君、中等O君、中等I君、特少私、特少I君で、まず特少I君は一番軽く謹慎5日前後、中等I君と特少私が謹慎10日、中等K君と中等Y君と中等O君が謹慎12日ほどが妥当でしょうね。また、幸いというのもおかしな話だが、この集団徒党の特徴として、横並びなんです。
別に特少生が引っ張ったとか、中等生が引っ張ったとかではなく、種別や級や年齢や処遇勧告による上下関係は一切無かった性質の徒党で、若干の日数のばらつきは調子に乗る頻度の違いですね。
例えば中等K君が出寮で居室前に並ぶ際に「出ます!」の後は休めの姿勢で待たねばならないところ、おもむろに「非常ベル鳴らします!」と申告して押そうとするのを、中等I君や特少私が「ハハハハ」と声を出して笑うとか、
中等K君が右向け右をするところを左向け左をして、法務教官が(またやっとるわ・・こいつら)と呆れながら「おいK違うだろ?向きが」と指摘。中等K君は「あ!すみませんでした!」と応じると法務教官は「はい。よし全員前に進め」と、一々まともに取り合わない様子で流す日々が一時期あったんです。
そのため、率先してふざけてしまったK君あたりは2、3日増えてもおかしくないという予測でした。
今振り返ると昼夜間メンバーは少年院が初めての少年や前回短期にいた少年が半分ほどいて、長期特有のストレスみたいなものに弱かったのかな。
とにかくずっと単独ですから皆それなりのストレスは溜めやすかったと思うものの、集団寮は集団寮のストレスが確実にあるので言い訳にならないんですよね。階下メンバーの考察はまたしてみたくなります。

あと、特別発信の方では2回目保護房が6日籠城となっているのは明らかに記載ミスに思う。6日籠城の時は出る条件として精神鑑定が絶対条件ですから、11ヶ月目に6日も籠城して出てから精神鑑定を長らく受けていないのはおかしい訳ですからね。
S首席が保護房から連れ出しに来た際の提示条件として、①君は保護房から出たら調査になります。それは分かってくれな?②診てもらう先生はこちらで決める事を了承してくれ。③保護房から出ること。(月一発信要確認部分)
特別発信が記されたのは22ヶ月目の頃で、自由帳に下書きされた過去の発信内容を元にされている他、担任の先生にこれまでの自由帳をお借りした際に数冊見当たらなかったのだったか、成績内容、段階別到達目標、調査内容を逐一お聞きして補完していたと思う。
その際、あまりにも詳細に記す意気込みの中、かなり大変だったのを思い出します。なので情報の優先度としては「月一発信」>「特別発信」>私や他生の記憶による証言という順で纏めていくしかないですね。

日記と課題作文やら本当に持って帰りたかったのと、保護房内の映像をDVDに焼いて持って帰りたいので許可願いますと、さも当たり前のような表情で言った時はF統括や新入寮主任に大笑いされました。


【段階別到達目標の内容推移】



【その他】
特別発信が出てきましたが、前記事の逆送少年の事件にて気が滅入るものまで見つかりました。
関連で逮捕されてから私が勾留先で付けていた日記なのですが、逮捕から7日目に担当のT刑事が写真を持ってきました。私はてっきり逆送少年や中等AB特少Bの顔を確認させるのかなと思っていたところ、3枚ほどの写真を並べられて声を失いました。
それは逆送少年の犯行直後の現場写真なのですが、惨状と化しており、くっきりと覚えているのは「人間の血液は赤だけではない」と知ったのと、どの角度から凶器が振り落とされたのか警察は勿論鑑定をして分かる訳ですが、素人目に見ても分かる特徴がありました。
それは肉片が飛び散った際に付着した際の筋を見れば「血がどういう飛び方をして血痕として付着したのかが分かる」と知りました。雫の垂れ落ちる尖端にかけて黒、赤、透明が入まじっているような感じです。T刑事がわざわざ出した理由は何となく分かりましたが、逆送少年の精神状態が少し心配になった。
逮捕から連日続くのですから。

裁判員裁判でも同様の写真を事前告知された上で法廷で見せられると耳にしましたが、傍聴席から裁判員一人一人の様子がよく見えるのですが苦悶の表情を見せる事があります。
傍聴席から察する限界があった。
そしてこの日の取調べはやけに慌ただしかった事を思い出します。この日だっただろうか。警察も普通にプライベートでインターネットは見ているのだなと知った。特にモバゲー、2ちゃんねる、mixi。

また、逮捕2日目の取調べではT刑事と私は相変わらず仲が悪い頃で、下記のような事を勝手に供述調書に作成されて反感を募らせていた。


考えれば誰でも分かりそうな事ですが、取調べで作成する供述調書にわざわざこんな不利な事を言うアホはいないでしょうと失笑でしたけど、T刑事はこれも本気で作成しようとしているのではなくて、私を煽っている感じでした。
というのも初日に「4課は柄悪いし品が無いから大っきらいなんですよね」からの言い合いとなり黙秘しており、その上でこっちは身柄を押さえられる際の怪我から管轄警察本部の人間をバカにしていた。
何故なら2日目夜の弁護士接見にて「すぐに病院に行って下さい!」と言われて、K病院にCTスキャンとレントゲンを取りに警察と行ったのですが、本部があんな過剰に見栄を張らなければ取調べをスムーズに始めまっていた訳ですから、無駄な時間と税金を浪費した上に取調べすらろくに出来ない。
それは担当する刑事としても苛々して当然でしょうから、当たる矛先は私しかいない。本部に管轄署の一部署が苦言を呈したところでどうにもならないですもん。
なので被害者の参考人聴取にてT刑事が被害者にブチキレる日までは大方こんな感じで、ピリピリしながら取調べを受けていました。そうこうしているうちにタイムリミットが迫って来ますから刑事としては気が気では無かったでしょう。
逆送少年の犯行直後の事件現場を私に写真で示したのも一つに「揺さぶり」はあったと思う。

それと何故か捨てられずに置いてあった当時の新聞に、山地悠紀夫に地裁が死刑判決を言い渡した日のものがありました。
別記事の酒鬼薔薇の犯行声明文が送られた日の号外にしてもそうですが、自分なりに考えようとしていたのでしょうね。
山地は岡山少年院を仮退院後に勤務先のパチンコ店同僚と居酒屋に向かった際、岡山少年院の同級生と偶然遭遇するんですよね。
その際、山地に対して心無い辛辣な言葉を投げかけた上に、後日勤務先まで突き止めて脅しにかかったと「死刑でいいです」に記されていました。読んでいて正直ムカついて仕方がなかったです。
【中等短期及び特少で見た不正事例と処分比較】
[中等短期の部]
・不正交談等のT君(1級上)N君(1級下)Y君(1級下)O君(2級上)と他2名ほど。

この不正騒動はかなり私の寮に衝撃と動揺が走ったので印象深いのですが、ある日とつぜん調査で荷物を纏めさせられて出ていくのが1級生ばかりで、その中に1級上のT君まで連れて行かれたので寮内におかしな雰囲気が流れた。
私はT君が連れて行かれた時に大きな溜息とショックでした。
まず集団部屋の13室にいた4名全員が調査となり、(ああ、不正交談と不正連絡か不正通信だな)と思った。
私語をする中に住所や電話番号の交換でこれが結構多かったんです。
それで2級上のO君だけ「文身」と「不正喫食」も含まれており、ボールペンのインクとバッジの針を用いて手に入墨を突いていたのと、夕食のコロッケをタンスに隠して就寝後に食べていた。
復寮集会でそれを聞いた時に、相互監視が徹底された集団寮にて夕食のコロッケを持ち帰るとか相当うまくやったのだなと感心していたら、調査となって単独寮に移されてからしたらしく、ああそれなら簡単だなと納得しました。
結局、一番処分が重くなったのは1級上のT君だった筈で謹慎15日以上と「仮退院激励式無し」になった。別記の通り私は週番で日記に「仮退院激励式だけは有るのと無いのとではかなり変わってくると思うのでやらせてあげて欲しいです」と書いたところ、寮主任Y先生に呼ばれて2人で話していました。
結局ダメで裏口退院となり誰にも見送られずに仮退院していきました。気持ちの面で少年院から社会に戻ったというけじめの面でもさせてあげたかったです。多少なりとも糧になると当時は感じていました。

次に2級上O君が謹慎15日で2番目に重かった。それで復寮集会で覚えてるのは全く反省の色がない 苦笑
寮生から「他にも何かしましたか?」「なぜそんな事をしようと思ったんですか?」「裏切った先生や寮生に何を思いますか?」と質問が飛び交うと調子の良い感じにポンポンポンと悪びれずに答えていくんですよね。
隣で聞いていた先生が「お前ほんまに悪いと思っとんやろな!?さっきから黙って聞いていたら!」と怒鳴られたものの、ケロッとしていた。
他も謹慎7日とか5日程度だったと思いますが、当時の和泉学園では重い方でした。

そういやこの時のT君の復寮集会だったと思うが、後に私が事件を起こす地区にて再会するK君が突然たった一人男泣きした。集会の終盤に差しかかった頃でした。
当時、K君はなぜ泣いたのかと不思議だったのですが、
後に事件地区で偶然再会して尋ねてみたところ「荒れる寮」を肌で感じて悲しかったとの事でした。
私はその理由に納得出来ましたね。確かに中等短期は特に寮意識が強く、全体主義的な雰囲気がありました。
特少の集団寮はその意識がどちらか言うと薄い方で、スポーツ系の行事以外は互いに仲間意識というよりも、気の合う寮生同士がくっつく感じで、同じ寮でも我関せずもいれば、ひたすら自分の世界もいればと特徴的だったと感じます。

やはり高校の合宿ムードがそういう雰囲気からも中等短期には漂っていたと私が感じる理由があります。
・陰部摩擦のK君(私が世話役だった)
マスターベーション発覚による寮主任説諭あたりだったと思う。

・確か抗弁のS君
この少年は暴力団に所属しているらしく話す時に目を見開きながら話す癖があって、背が低く動作が可愛らしく映るギャップがありました。
ただやはり寮生の中では犯罪傾向が進んでいる部類に入り、私が週番で寮内の清掃を見回っていた際に、トイレの前を通りかかると強姦罪で入ってきた少年にふざけて肩パンした瞬間でした。雰囲気としてイジメまではいかない悪ふざけの度を超えた程度に私には映りましたけど、やられたU君もやめてくれよ〜という感じで苦笑いしながら身をのけぞっていました。

私が通ったのを気づいてS君の顔に(あ!やべバレた)という表情が表れると、すぐさま掃除に専念している素振りとなり、一緒になって周りでふざけていたぽい片腕だけ手首辺りまで入墨のあるY君もソワソワしながら掃除し始めた。
Y君とは私が週番になる前の馴れ合いグループだった時の仲間でしたし、私は別記の通り「自分が被害を受けない限りは見てみぬふり」ですからその時も週番でありながら見逃すつもりでした。
すると掃除の最中にS君が私が先生に言わないか気になるんでしょうね。週番はそういうのは見逃さない人が割かし多かったと思います。
S君は先生に「○○君に掃除の事で聞いてもよろしいでしょうか!」と告げた後、当たり障りのない掃除の事を聞いてきて、内心(本当はそんな事を聞きたい訳じゃないんでしょ?心配せんでもチクらんから笑)と私もその質問に明るく答えていた。
じゃあ次に昼食となって今度はY君の方が私が言わないか気になるようで、「○○君お茶あります?どうぞ」とコップに注いでくれるのですが、馴れ合い仲間だった頃はお茶を1センチほど入れて止めるので、こちらが笑いそうになるのをこらえるのに大変でした。
この時もY君がチョロチョロとわざとゆっくり注いでふざけながらも、こちらの様子を覗っている感じでした。(また別の角度から見ると、俺ら一緒にこうしてふざけあってたよね?だから言わないでね?もあったのかな?)

この時に(少年院でやましい事をしてバレそうになるとこんな感じになるんだな)と感じたものです。
振り返ると私の場合は先生にチクられるよりも、点検集会でギャーギャー言われるのが苦手でしたね。
先生にチクられる方がマシだったのはこちらも弁明(言い訳含む)ができる事に対し、点検集会では「ありがとう」以外は返してはならないルールがあるので、指摘の内容が明らかに誤解や理不尽でも言い返すとこちらが悪くなるんです。
今思うと、すぐにカッとなる少年や言い訳に逃げてしまう少年を抑制する目的もあったのかも知れません。社会でも理不尽な事が沢山ありますし、その都度感情を剥き出しにしていると匿名掲示板の一部に散見される有様みたくなってしまう・・。
結局、S君は先生に言い訳だか反論がいきすぎて後に調査となりましたが、トイレの件では何もなっていません。反論の件では確か謹慎にもなっていなかった筈です。
S君の復寮集会では多少堪えた感じで元気が無かったようですけど、話すときは相変わらず相手を威嚇するような大きく見開く目つきとなるため、調査を取られてしまった時も多少不利になる要素はあるのかも知れませんね。寮の先生方はS君のそういった特性も既によく把握していたと思うけど、語気が鋭くなった場合に威圧感はより強まるでしょうし。

・不正交談のM君とU君
まず、はじめに私はこの二人は当時は苦手な少年で、一人とはホールで先生立会いのもとに話し合いにもなりました。
内容がまたつまらない言いがかりであると当時は感じていたものです。
二人と私とN君で洗面室にいる際、二人がおもむろに「誰々君点検集会でうるさいですよね」と始まりだして、私にどう思います?みたく振ってきた。
率直に陰でグダグダ言うなら点検集会で思いっきり気の済むまで言えばいいし、中等短期の点検集会は名指し批判が出来る場所でもありましたから、しようと思えばいくらでも出来る訳です。それをしないなら黙っていた方がマシだと感じ、自分がしんどくなるだけ考えない方がよっぽど気が楽です。
現に口煩いなと感じてしまう寮生は沢山いる訳で身が持ちません。

私は洗濯物干しが終わると、そそくさと洗面室から出ました。

すると数日して二人が不正交談で調査となり、その復寮集会にてM君は私がチクったと疑っているのかずっとこちらを気にしており、U君はうまいこと?言います。
「今回、僕たちは多分誰かにチクられたと思うんですけど、最初調査になった時は正直ムカついてる自分もいました。でも今となってはチクられて良かったと思います。なのでその人にお礼が言いたいので立ってもらいたいのですが」
誰も立ちませんし、後ろで聞いていた寮主任Y先生が激怒しました。「アホかお前!チクった人にお礼が言いたいから立ってください!?何考えとるんやお前!!それはお前の犯人探しやないかい!」U君「えっ!?僕はそんなつもりじゃ」、Y先生「それが犯人探し言うんじゃ!単独室で何を考えて来たんやお前は。」
結局、二人は確か院長訓戒だった筈です。

ちなみにM君と私は不仲でしたけど、ある日、寮のD先生が寮生をホールに集めた際、M君が前で座っていました。
何が始まるのかと思っていると、D先生が言います。
「Mがどうしてもみんなに聞いて欲しい事があるらしいから聞いてやって。五分ほどで終わるから」
するとM君が一冊の絵本をみんなに読んで聞かせてくれました。
それは「一杯のかけそば」という物語で、私はこの日初めてその物語を知るとともに、M君にもこんな優しい一面があるんだなと知ります。何だか今まで不仲だったのもボタンのかけ違いのような本当に些細な成り行きなのかもしれないなと感じていましたね。

・生活態度不良の私とS君
・特修短期寮の米窃盗N君ら数名

[特少の部]
・洗面台におしっこをしてみたくなってバレた中等M君か中等G3S君どちらか
・集団寮に移ってすぐに掴み合いになった中等O君ともう一人
・就寝後に寝込みを襲撃しようとして未遂に終わった特少D君と特少T君
・更生しません宣言で別の特別少年院に不良移送された特少I君
・調査中に先生を殴ってしまいうちに不良移送された特少I君
・整理整頓が出来ておらず反抗態度を示してしまった中等G君
・集団寮で悪ふざけしてしまった中等O君と中等G3N君
・溶接ハンマーで他生の頭蓋骨陥没させ事件送致された中等生
・別の中等から不良移送されてからも保護房の出入りを繰り返し殺すぞと叫び続ける中等I君
・被害者の命日が近づいた事と集団寮の煩雑さから情緒不安定となった中等S君
・昼夜間単独メンバー

特少(特別生と中等生)と中等短期の不正をこうして比較してみても、本質的に似た不正でも特少はちょっとやり過ぎてしまうんだよな・・まあ当たり前なんですけどね。
司法判断で「比較的改善容易」と「犯罪傾向が進んでいる」と対立関係に近い立ち位置ですから・・

ここらへんは短期と特少を経験出来た分、温度差の違いがすごく感じ取れた部分です。
また、特少は不正に対する処分が重い傾向にある事は、多くの先生が口酸っぱく説明し倒していましたが、もう一つ特徴的な事に「謹慎が終わってもすぐに帰れない事」が結構な頻度でありました。

謹慎生から反省生や内省生に切り替わって2、3日は自分自身を省みさせる様子見期間を設けたり、戻すとまずいと判断されると昼夜間単独生として分離されます。

それはやはり私の成績経過を見ても感じられると思いますが、順調な生活から一度崩れるととことんまで自暴自棄になる少年らが多く、嫌というほど見ました。
その中にはどちらかというと普段は真面目に頑張っていた少年も含まれますし、事例①の傷害致死君なんて典型でした。
それほど躓いた時のダメージも大きいからでしょうか。



【中等短期及び特少の行事内容】
[中等短期]
■食堂横丁 
 高校の文化祭に似ていた。寮ごとにテキ屋みたく店を出す。
うちの寮は水餃子で、看板はグラフィティに長けたY君がドラゴンボールちっくな上手な絵を描いてくれた。グラフィティの能力が少年院で発揮してしまうとは何とも皮肉なものである。彼は某所一帯で頻発していた落書き事件の実行犯で、中等短期では普段寡黙で大人しい少年でしたが、この日ばかりは得意分野ですのでとても積極的でした。寮生も皆うまいうまいと褒めながら驚いていた。
 この行事が少々変わっていたのは地域住民の方々を少年院内に招き入れて振る舞うんです。今もあるのかな。
 当日で覚えているのは普段不仲だったM君と私と他二人の計四人でニコニコしながら食べていました。その光景を私から見て右斜め奥の遠巻きに立っているD先生が睨みながら監視しており、それが余計におかしくて水餃子の入った器に口をよせてスープを飲んでいるフリをしながら暫く誤魔化していた。
他の二つの一般短期寮は一つがフランクフルトで、もう一つの寮と特修短期は思い出せていない。追記:一般短期寮のみのり寮かみらい寮がきんつばだ!フランクフルトはみらい寮だったかなと思ったが、特修短期のゆたか寮だった可能性もある。

■対抗バレーボール大会
 この行事も変わっていたのはただのバレーボール大会ではなく、近所の中学の女子バレーボール部が対抗試合にやって来る。
 私は球技の中でバレーボールが不得意で、後に特少で開かれたバレーボール大会も場外にこぼれたボールを奇跡的に打ち返せたミラクルが1回起きたのみで大した活躍は出来なかった。
 中等短期でバレーボール大会が始まると気鬱となったのは、当時社会にいた交際者が中3で、同じ年頃のバレーボール部を見ていると早く帰りたくなって仕方がなくなった。
 確か一般短期寮3つをAチームBチームに分けて、特修短期寮が1チームのトーナメント戦を経て、優勝チームが中学女子バレーボール部と試合をした筈ですが、短期少年院の少年が女子中学生にバレーボールでボコスカやられていて奇妙な光景でした。
この時も自分の寮の応援が盛り上がって、確か掛け声が誰から始めだしたのだか「ファイト!のぞみ!ファイト!のぞみ!」と「いーけいけいけ、いけいけのぞみ!」でのぞみ寮を応援していた。
やはり和泉時代は寮意識が強いと改めて感じさせられ、特少のバレーボール大会の応援では「○○君ナイスファイト!」やら「○○君頑張ってください!」と個人指名で、前述した差が色濃いです。

■盆法要
 確か事前に寮内で「この中に年内に身内で亡くなられた方はいるか」と少年に挙手させて、その少年と事件で被害者が亡くなった少年は一人ずつ前で焼香していた筈で、うちの寮では事例③の業務上過失致死Y君、特修短期寮から傷害致死のN君、よその一般短期寮から乗車定員オーバーで交通事故を起こして3人程亡くなり、1名意識不明の重体となった業務上過失致死傷の少年の3人は出ていた記憶があるんです。
 前でお坊さんがお経をあげて下さる。特少では生命犯が圧倒的に多いのに確か無かった行事です。

■水泳大会
 和泉学園で有名なシンクロは私の頃は存在せず、私が仮退院した翌年の平成16年から始まったようです(2013年に産経新聞が報じていた)。私の頃はシンプルな各種目を競うもので、リレーもあった。
 そして和泉学園では潜水もあってM君が出て25メートルで折り返した途中で辞める少年が多い中、M君はそのまま50メートルに到達するとそのまま続けてターンして75メートルに達する途中あたりで水面から顔を出してハァハァ言う中、おぉー!という声と共に拍手喝采が起きた。
 50メートルからターンした時に先生も少年も(まだいくんか!すげえな!)という感じでおぉー!と声が上がっていた。

■慰問①試験観察補導委託先「はぐるまの家」による和太鼓の演奏と焼き肉
 別記の事例②特修短期寮のご飯窃盗事件が起きる日。
和泉学園に来て頂いた数ある慰問の中でも私が一番印象深く残っている日で、やはり体育館の照明が落とされ雰囲気がガラッと変わり、舞台を見に来ているような本格的な雰囲気の中で始まりました。
そして滅多にない焼き肉を食べることが出来て、この日だけご飯おかわり自由という夢のような日です。
それに中継処分である試験観察の少年が少年院に来るというのもとても珍しく感じられて、私の周りに試験観察処分を言い渡された少年は少数いたのですが、試験観察には在宅と補導委託がある中、在宅で地元に帰って来る者ばかりでした。
なので少年鑑別所で補導委託の説明を見聞きする度に、それって少年院送致より少しマシなバージョンと考えれば良いのか?と興味深い事は確かだった。
当時でも補導委託先が少ないような話を鑑別所で家裁調査官から聞かされたように覚えています。
なのでうちに慰問に来てくださると分かり、試験観察処分で補導委託となった少年たちと当時塀のない短期少年院で生活している私たちとの温度差というのか、雰囲気の違いなどにとても興味がありました。
 はぐるまの少年たちは和太鼓の演奏ではまったく緊張が感じられず、いざ焼き肉が始まって各テーブルに少年院生6人ほどの中に試験観察の少年1人という感じに座るので、さすがにその時は緊張している様子を感じましたね。
それも関西の少年ばかりでは無かったでしょうし。
箸がすすまないので私とN君らがどんどん食べてくださいと促したのも思い出します。「は、はい」と緊張していた。

そして和泉学園を仮退院後にはぐるまの家の和太鼓演奏の余韻が強く残っていたため、インターネットのHPからお礼のメッセージを送らせて頂いたんです。平成15年6月以降だったと思います。
すると律儀にも「はぐるまの家」の方から返信が届きました。内容で覚えているのは「当時、和泉学園に演奏で向かった時にいた少年がまだ一人うちにいて、貴方からのメッセージを読んでとても懐かしく感じていました。ありがとうございます」と言葉を頂き、暫くして封筒が届きました。中には達筆な手紙3通と和太鼓のCDと御守が入っていました。
今でも大切に残してあります。

御礼の返事をしなければならないと思っていた矢先、私は後に特別少年院送致となる事件を起こしてしまう。
本当に申し訳ないという言葉以外に見つからないです。

■管内コーラス大会
これは和泉学園だけの行事ではありませんが和泉学園から参加したので一応です。内容は別記参照です。
■ハンドボール大会かソフトボール大会
検索するとソフトボール大会で、少年院に割かし多いのもこっちなんですが、なぜかハンドボールのイメージがつきまとうのが不思議ですね。少し保留です。

■和泉学園の正月三が日
 特少の正月と違って和泉学園はやはり短期というのもあってか自主性に委ねられる要素も強く、正月におせち料理の入った折り詰めが少年一人一人に配られて、食事はいつもなら寮内のホールで食べていたのですが、三が日だけは体育館に長テーブルを配置して全寮で食べました。平成15年の正月です。
それでうちの寮は一番左列で、真後ろに特修短期がいた記憶もある。
 そして各一人ずつに配られた折り詰めは一日の朝昼夕の3食分のおかずとなるので、自分で計算しながら食べないとならず、いずれかで思いっきり食べても良いし、バランス良く食べても良い。そのため朝に殆ど食べきってしまって先生が苦笑いしながら「お前、夕飯までおかず残ってるんやろうな?苦笑」と笑われていた少年がいたな。
これも今思うと、食べ方で少年がセーブの効く人間であるかとか、しっかり計画して食べれる人間であるかなど、一つの判断材料にはなっていたのかも知れないな。

エビフライや昆布の巻いたものとか一杯入っていて、当時思ったのが(これ・・家より遥かに良い)と思ってしまった。
祖母の家では正月に行くと重箱の三段でしっかり詰められたものが作られていたが、親元だとおせち料理の記憶が殆どなくて、和泉学園で幼少期の祖母宅を思い出していた。

そして正月三が日だけは、ご飯を食べながら体育館の前に大型のスクリーンが設置されており、「情熱大陸」を1回の食事で2回分ほど見れた筈で、テレビを見ながらご飯を食べれたのは中等短期に送られてから初めてだったと思う。

その代わり、和泉学園では週番が昼食の時だけだったかラジカセに流すCDを選ぶことができて、私はモンパチのMESSAGEというアルバムばかり流すので、ある日「いつもこれじゃないですか?」と誰かに言われて変えた記憶がある。
他に何の曲があっただろうか。L'Arcは確実になかった。

正月の2日目か3日目に映画視聴が体育館であり、鑑別所では散々流れていたジブリとかだろうと思っていると、まさかの「あさま山荘事件」のプロジェクトXでテンションが上がりました。

餅つきもさせてもらえた気もするし、事前に正月は餅つきもあるので楽しみにしておけみたく、YouTubeの和泉学園ウォーターボーイズに出てくるM先生が院生に話していた記憶が薄っすらあるんですよね。
M先生はこういう行事ごとが大好きな先生でしたから、とにかく色んな場面で率先されていました。

餅入りのお汁粉を食べた記憶がある。

それと思ったけど、短期少年院は1年間まるまるいる事が少ないので全
ての行事に参加できない少年ばかりなんですよね。
そこで9ヶ月いた自分でも5月、6月、7月の行事は出ていない訳ですが、この頃の行事は当時に何があったのか気になります。
プール開き辺りは確実で、私が送られた頃には水泳が始まっていました。


 
[特少]
■観桜会(3回参加)
 中庭で各寮が別れてブルーシートの上でお弁当を食べて先生方と談笑出来る。
 2回目の観桜会だと思うが私は昼夜間単独生と新入生らと食べていて私の右隣に新入寮主任H先生が座っておられ、楽しく話していた。すると中等寮O先生がやってきて別記「恩師の思い出」に記した流れがあった。
他に観桜会は特別なことしましたっけ・・
計3回出ている。

■盆踊り(3回参加)
 この行事が大好きな点は「辺りが暗くなり始める夕方辺り」に中庭に出れる新鮮さがありました。
1回目の盆踊りは私が特少寮にいるレアな頃。夕食後に浴衣を中に入れられて、身長の合う浴衣を試しに着てみる。K君の浴衣の柄が何となく時代劇にて傾奇者が中に着そうな柄で良かった。
中庭に薄暗い中出て、パイプ椅子を持って出たのか既に並べられており、特少寮の位置に座った。
それで盆踊りの後だと思うけど休憩がてら100円以下で売ってそうなかき氷を食べた。確かみぞれ金時でバニラアイスが少しだけ真ん中にあるやつ。
かき氷を食べながら夕涼みが風流で盆踊りの飾りを眺めながら楽しかった。中等生の寮も農園芸科M先生あたりが冗談を言って盛り上がっていた記憶がありますね。
この時に特少寮K君がうまく踊れていた少年に貰える賞状を獲得して羨ましくて仕方が無かったです。
チャンスはあと2回か難しそうだと思いながら作戦を考えると、K君は喜怒哀楽が表情に滅多に出ないものの、私が賞を取るなら「笑顔」が鍵だと思った。
なので2回目の盆踊りでは新入寮から参加ですが審査員席に笑顔を振りまいたものの賞を取れず、3回目は精神鑑定最終が終わった頃かな、それどころではないのに頑張ったけど賞は取れなかった。

丁度いいので特少の部屋を振り返りたい。
[①2室]
・H君 1級上 少年院4回目(初等宇治→中等浪速、中等岡山→特少奈良) 強盗致傷 相当長期2年
・S君 1級上 少年院4回目(広島少年院、浪速少年院、岡山少年院、特少奈良)強盗致傷 相当長期2年
  S君が出院前となり部屋を出て代わりにK君
・K君 1級上 少年院3回目(短期豊ヶ岡学園、瀬戸少年院→特少奈良)比較的長期1年半
・I君 2級上  少年院4回目+1(赤城少年院、喜連川少年院、中等八街少年院→久里浜特少→不良移送で特少奈良)強盗致傷 相当長期2年→再編成
・私 2級上 少年院2回目(中等短期和泉学園→特少奈良)強盗致傷 相当長期
2年→継続審判3年→再編成2年4ヶ月

[②2室]
・Y君 1級下 少年院?回目(確か宇治→特少奈良)覚せい剤取締法違反と強盗致傷 比較的長期1年半
・Y君 2級上 少年院3回目(初等宇治→中等加古川→特少奈良)道交法違反と覚せい剤取締法違反 長期13ヶ月
・私 2級上(①に同じ)

[③3室]
・K君 1級上 少年院3回目(宇治、加古川?→特少奈良)強盗致傷 相当長期2年
・私 2級上(①に同じ)
・N君 2級上 少年院初めて(一発特少)殺人未遂 相当長期2年

[④4室]
・M君 1級上 少年院2回目(初等宇治→特少奈良)強盗致死 相当長期3年半
・私 2級上(①に同じ)
・M君 2級上 少年院2回目(中等短期播磨学園→特少奈良)多額窃盗 比較的長期1年半

上記示す特少寮推移から、盆踊り大会は③にいた頃だったように記憶する。

私の理想の集団部屋の人員を選べるなら下記ですね。
・K君(③に同じ)かI君(①に同じ)かS君(①に同じ)か強盗致死君(④に同じ)
・事情通 2級上 少年院3回目(初等宇治→中等加古川→特少奈良)強盗致傷 相当長期2年か多額窃盗君(④に同じ)
・私(①に同じ)
・N君(③に同じ)かゴスロリ君(別記事例②通り)か高校生かメガネ君。(後に助けて事件のT君もいい。とにかく他所の部屋で面倒な事をやられそうな子は引き取っていい。こっちにいればまず安全です。ボス格K君もむやみやたらに攻撃的にならなかったし、I君とS君も下級生をいびらない。H君もいびらないが一発特少君の誤解の件があったので外しましたが、H君は他の少年院に詳しいので話が面白いです)
K君は寡黙で会話が少なく、ゴスロリ君とメガネ君と高校生は自分の世界なので静かで、事情通とN君と多額君の不正交談内容は大学進学や司法書士試験など前向きな内容が多くなるので切磋琢磨、S君は何をさせてもこなす模範となる。I君は温和で愛嬌があり癒やされる。これほど恵まれた集団部屋はない。
②の1級下のY君もジャニーズ系で愛嬌があったので久里浜移送I君と同じ癒やしタイプです。

■水泳大会(1回参加)
 特少寮から出て50メートル平泳ぎの部だった筈で、他何かでました。特少生は少ないため2回と3回出る少年がいた。中学時代に柔道部→水泳部でしたが平泳ぎは2着だった記憶。
 2回目は昼夜間単独生で新入寮と見学、3回目は見学すらさせて貰えなかった記憶。ただ昼夜間単独寮の真横にプールがあるので一部始終が丸聞こえであり、賞状を貰っている少年が分かるのですが、その中にゴスロリ君がいました。1回目の水泳大会では17歳の覚せい剤取締法違反の少年が賞状を獲得していた。
 
■バレーボール大会(1回参加)
 私と強盗致死君と短期同じ少年

の3名に限ってはボールを譲り過ぎて副主任が交代させる。ポジションは1点ごとにクルクルとローテーションして代わっていく。
思い出すのが私がバックライト、強盗致死君がバックセンター、ボス格K君フォワードセンターにいた際にボールが飛んでこなくて良いのに何故か私と強盗致死君にばかり飛んできて、私と強盗致死君の真ん中辺りにフワッとボールがゆっくり飛んできた。
強盗致死君が咄嗟に「○○君どうぞ」と私に促し、私も「いや○○君でしょ」と譲りあってる中、ボールが落ちてしまいK君が私たちを見るので強盗致死君がまた「○○君いかないと」、私「今のは強盗致死君いかないと」→強盗致死君「ほら次来ますよ!」→「来たら強盗致死君お願いしますよ?カバーしますんで」と二人でこんなに話したのも初めてでした。
そして1回だけ特少生がレシーブしたボールが大きく場外に出て諦めムードが漂った時に、ダメ元で中等生が座ってる目の前まで走って中等生の頭の上で右手でレシーブしてみたら奇跡的に相手側にボールが飛んでいくミラクルが起きて、それっきりでした。
副主任F先生が私と強盗致死君と短期同じ君を補欠と交代させてからめちゃくちゃ元気が漲り、特少席から(これで今年のバレーボール大会の役目は無事終えた)と言わんばかりにリラックスしながら応援していました。
 スポーツ系行事が強い方だった特少寮でしたが、1回目のバレーボール大会は中等A寮にインターハイ経験の傷害致死君が強アタッカーで、チートレベルでしたね。さずかに特少生が翻弄されてたもの。この時、母校2回目Y君、ボス格K君、道路交通法違反君、17歳覚せい剤取締法違反君がかなり活躍して粘っていた。
 2回目のバレーボールは新入寮か昼夜間所属で、少しだけ観戦見学させてもらえたのだったかな。

■サッカー大会
 サッカー大会は殆ど記憶がなく、私は参加出来なかった筈。
というのもサッカー大会直前の練習だけは非常に覚えており、いつも特少寮体育は体育館が多かったのにサッカーとソフトボールはグラウンドを使わせて貰えた。
それでサッカーでは私たちにスーパーのカゴにスパイクが入っており、足のサイズを各々が見て履くんです。
そしてパスの練習を延々とさせられて、カラーコーンをすり抜けるドリブルの練習もしました。
そして本番前に逃走企図発覚してからの調査です・・
2回目は新入寮が見学出来なかったと思う。それか昼夜間単独だけ見学不可のいずれかです。

■ソフトボール大会
1回目は特少寮から出て、2回目は新入寮でみんなと見学したよ。そうそう思い出すのは2回目の見学だが丁度、前記事逆送少年とG3N君も新入生の頃で、3人でここぞとばかりにニコニコしながら観戦していた。
私はサッカー派で野球はルールがあんまり詳しくないため、特少寮から出たものの大した事はしておらず可もなく不可もなく流れ作業のように終わったのかな。
それでも何故か持ち上げる訳ではありませんが特少寮はスポーツ系行事が強
かったです。きっと特少生の中等寮に負けるなという意識は、こういうとこでも発揮していた気がしてならないんですよね。
しかしバレーボールでは負けた記憶しかなく、傷害致死A君のインターハイ経験も後押ししてか、かなり強かった。

■運動会(1回参加)
 特少寮から参加で、足の速さだけは自信がありスポーツ系行事の中では一番好きでした。
それも入場行進が軍隊パレードみたく出来るのと、保護者が多数やって来る行事なのでスポーツ系の中では一番盛り上がったと思う。
 この時、私だけでなく特少生が1着の旗のところに大量に並んで座っており、I君は残念ながら中等に桁外れに速い少年がいて2着になってしまい気にしていた。しかし彼は特少生の中でお世辞抜きにスポーツ万能タイプでしたから、余計に悔しかった筈です。
 1回目の特少寮から出た運動会だけは本当に気持ちが良かった。
 そういえば運動会って賞状が無かったのでは?もしあれば私たち持って帰れていた筈ですし、水泳大会で賞状があるなら運動会にもあってほしかったなあ。
 2回目は昼夜間単独で出れずに外の音を聴きながら昼夜間メンバーとこの日は虚しく平常通りの日課だった。途中で特食のとんがりコーンか何かが出て、(まあ・・いいか・・今日一日我慢してれば明日にはまた平常に戻る)と考えないようにしていたと思う。

■駅伝大会(中止)
 この行事は私が特少に来て2年目あたりに出来た筈で、しおりにすら乗っていない行事だった筈なんですよね。
 駅伝大会があると特少寮のN先生から知らされた際に、「え?去年そんなの無かったと思いますけどね?」と言うと、「うん。今年はあります」と教えて下さり、「駅伝ってグラウンドでやるんです?運動会と何が違うんですか?」と尋ねて、少年院の外までコースを作り、法務教官が要所要所に立って逃走しないように走らせると言うので驚いて聞いていた。
いやあ特少で外走らせるのは何かしら良からぬ事を考えそうで、特少寮にいた際に同じ部屋のH君に「和泉では外に働きに行ける」や「塀がない少年院」と話した際に驚いており、「外で水撒きしていたら誰もいなくなった」という話の際には「俺なら絶対逃げるけどな」の発言を思い出していた。
結局、雨で延期となり、延期日もまた雨で中止となった。
私にとって幻の行事です。
 
■収穫祭(2回か3回参加)
 この行事も少し変わっていた。というのもこの行事の主役となるのは中等中間期寮2つの内、「農園芸科」のA寮だけなんですよね。
 農園芸科で収穫した野菜が体育館の前にズラリと並べられており、うちの農園芸科は「マイ畑制度」があって、中間期A寮に移ると自分だけのマイ畑が貰える。
私は農園芸科主任のH先生から階下で詳しく聞いた際、和泉学園の農園芸科を思い出しながら、「パンジーなどの花に愛着を感じた」ことを思い出しながら、もし自分だけの
鉢植えなどが貰えて育てる事が出来ていたら更に愛着が湧いたのだろうなと思えたので、中等A寮のマイ畑制度はとても素晴らしいと感じました。
現にスイカに挑戦する少年やメロンに挑戦する少年など、自分で好きに選べる上に、肥料まですべて選べます。
 試行錯誤する中で実り育った野菜は我が子のような愛着が芽生えるのではないでしょうか。
 そういう意味でも収穫祭は中等A寮生にとって格別の日でしょうね。
 収穫祭のはじめに院長が「野菜のありがたみ」について滾々と話して下さる。さながら学校でいう校長の長話になるのかも知れませんが、少年院という場所だけあって雰囲気が重々しく感じました。
 少年院経験者かつ前の少年院で農園芸科か農業科を経験していると、余計に野菜作りの大変さが思い起こされて響いていたのではないかな。
 収穫祭イコール院長講話と野菜が並んでいる映像ばかりで、その後は寮に戻るだけでしたっけね。慰問が来たような気もするけど別だと思うんですが。

■天理教教祖(おやさま)誕生祭(2回か3回参加)
これはうち特有の行事かなと思ったら小田原少年院にも天理教の方が来られていたようですね。
 特少がある同県に天理市があるのも関係しているのか慰問を呼んでくださりますので、天理教の行事といっても意外と宗教色が薄いんですよね。
ちなみに私の母方の祖母は天理教の支部長(天理教でいうところの分教会長)をしており、私が特少に入ってから手紙を送るとわざわざA大教会の役員であるTさんが特少まで私を面会しようと来られたのですが、第3親等までしか会えないので手紙を差し入れして帰られました。
 私自身は天理教と関係が無かったのですが、Tさんは私を生まれてすぐの頃からご存知らしく、小学低学年の頃には私もTさんを覚えていました。
 なのでこの行事は私にとって少しだけ特別でもあり、祖母や祖母宅に来ていた人たちや、「悪しきをはろうてたすけたまえ天理おうのみこと」の一節や「おさずけ」「おぢばがえり」など思い出しながら冒頭の天理教の方の話に耳を傾けていました。
そしてこの行事で慰問にやって来る方が中々スケールが大きくて、マジシャンや演歌歌手が来て下さっていました。  

■七夕会(3回参加)
私はこの行事が大好きです。得意な詩を好きなだけ作れる上に、賞状まで貰えるチャンスですから意気込みは凄かったです。
俳句部門、短歌部門、詩の部門があり、私は詩の部門で銅賞を貰えました。他の少年の作品も堪能が出来て大好きです。
それぞれ抱えている問題やらが作品に色濃く表れる。
短歌や俳句に多いのはやはり「天の川」に関連するのも時期的な問題であり、七夕会と聞いて連想しやすいんでしょうね。
中には複雑になる内容もあります。

また、うちから教育作品集に出す俳句と短歌と詩はここから選ばれていましたね。

私が詠んだ短歌や詩は階下で書いたもので、他に教育作品集に送る随筆も書いたのもこの時期だった筈です。
私が書いた随筆の中に「懲役14年」というキーワードが登場するのですが、提出した際に階下の当直が溶接科主任A先生で、その作文を読んでから戻ってきて色々と聞かれたのを覚えています。
内容は私が特別少年院送致を言い渡される際の少年審判の様子から、M裁判官の言葉や特別少年院に送られてからの気づいた事や学んだ事を記しました。この時にどうしても賞を取りたかったので、過去の作品集を読みながら詩の部門で金賞銀賞銅賞と入選している作品の受賞理由と特徴を考察してみたんです。
その上で、更に入選する確率を高めるために考えた作戦は入選作品の殆どが「ですます調」で書かれていたので、「である調」で審査員の印象に残りやすいように差別化を図りました。
結局、金賞を獲得したのは交野女子の少女でとても悔しかったですけど、内容を読んでいて金賞も納得でしたね。
文の構成がうますぎた上に、飾りがなくて自然体であり、心にスーッと響きやすい作品でした。
それで次の頁をおそるおそる開くと私の作品があり、階下で話しかけて来る先生に喜びをその都度伝えて、日記でも更に喜びを表明していました。
母にも手紙で書いたところ、出来るならその作品を読みたいと返信があり、私が教育作品集を持って帰らせてもらえた理由かも知れません。


■クリスマス会
■特少の正月
 特少の正月があまり明るいイメージが無いのは尽く2回とも見事に謹慎中なんですよね。
思い出すと悶々とする時期ではある。単独室でエビフライを配られて黙々と食べていた。
1回目の年越し謹慎だと思いますが、この世の終わりみたいな暗鬱たる空気の中で壁に向かって黙って正座していると、中等寮主任M先生がサッポロポテトのベジタブル味かバーベキュー味の特食を持ってやって来た。
M先生は「いらんな?」と試すように言うので、「いります」と言って特食を受け取り、ボーッと溜息をつきながらボリボリ食べていた。
1回目か2回目の年越し謹慎何日目では特食をいりませんと食べなかった日もあった。その時は特食すらどうでもいいと思うほどの状態で。確か保護房にいる最中も何やら祭日があり、溶接科主任A先生が特食のかっぱえびせんを持ってきて「どうするう?食べれんよな?」と端から食べれる訳がないよなの方向で、この時も食べなかった。
特少の正月と年越しだけは全く良い思い出がない。今頃集団寮はどんな雰囲気なんだろうなと想像してみたり、単独寮はまったく空気が変わらずに淡々と終わっていった。

■誕生日会
■講演アピュイ
■講演アメリカのマクラーレン少年院
■慰問演歌歌手春奈佑果

メモ置き場②
真人間?魔人間?まあ人間
2020年1月31日 10:14
note記事や放置ブログ再開時用にキーワードにまつわる小話。
記憶の枝おきば

・酒鬼薔薇報道と私
 ある時期、メディアはことある毎に「キレる17歳」だの「酒鬼薔薇世代」だのと報道を過熱させ、あの報道が我々同じ世代の人間にどれほど影響を与えていたかと考える事が屡々ある。

というのも、あの報道の発端となる事件で少年が逮捕された日、母が私に言った言葉を未だに覚えている。

 『大丈夫?』と言ってきた。

普段、そんな事を一切口にしない母だったので、事件そっちのけでその言葉の意図が気になり、私があんな残忍な事を出来ると本気で思われているのだろうかと不安になったのだ。

もちろんこの頃は問題非行なんてまったく無く、当然、警察のお世話になった事すらない。

 翌日、学校に登校したところ既にクラスでは女子も男子もその話で持ち切りで、同級生は口々に「親に心配された」「俺も」と言う。どこの家庭もそうなのかと何だか妙な安心があった。

 事件が発生した時、非現実的な事件が現実に起きているという、得体の知れない恐ろしい空気が学校にも確実に漂っていて、犯人が捕まっていないため、直ぐ近くに犯人が溶け込んでいそうな不気味さがあった。

 その後に神戸新聞社に届いた犯行声明文から、まだ終わりそうにない目的の見えない恐怖に、世の中全体が振り回されている感覚が訪れ、緊急の報道特別番組が放じられた時には(この妙な感覚はオウムの時に感じたものだ)と確信した。

またあの暗い時間がやって来ると感じられると、何だか無性にうんざりした。

 黒いゴミ袋の男や不審な車が目撃されたと報道が入るたびに、非現実の部分がバリバリと崩れていって、一気に現実に引き戻される思いとなり、得体の知れない恐怖もそろそろ終わるんだろうと感じていた。

 すると逮捕されたのは少年だ。また訳の分からない非現実に引き戻されたような感覚だった。

私はテレビを見ながら、同世代が本当にこんなこと出来るのかと頭を悩ませ、この少年はこれからどうなるんだと気になって仕方がなかった。

何故なら同世代の人間がテレビの向こう側にいて、ブルーシートの隙間から奥へと消えていくサンダルや護送車が走り去っていく光景に、もし自分だったらと置き換えて想像していたからだ。

テレビで専門家のコメンテーターが説明をはじめると、私とは無縁の場所へと連れていかれるぐらいの感覚しか無かった。

事件を周囲が忘れだした頃、めったに本を読まない母が突然、この事件の両親が記した手記を買って帰り、私はまた妙な不安に襲われ始める。未だに本棚には当時の本が置いてある。

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 それから数ヶ月した頃、私はバタフライナイフを持ち歩くようになった。
 酒鬼薔薇とされる少年がナイフを持ち歩いていたと報道された辺りから、私の周囲ではナイフが流行りだしていた。

ある日、私は銃刀法違反容疑で書類送検されてしまう。

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心配した母が私の部屋に入ってきた時、壁に貼ってあった酒鬼薔薇事件の号外新聞が見つかり母に咎められる。

今までろくに心配して来なかった母が酒鬼薔薇事件以降、やたらと心配してくるようになった。

そもそも号外新聞を壁に貼り出したのは、この事件で少年が逮捕されたときに、母の「大丈夫?」という一言に端を発し、酒鬼薔薇に関連する新聞なんて壁に貼っているのを見れば、母はまた心配してくるだろうと思っていた。

そこで置いてあった新聞を部屋に持ち込み、貼り出した事がきっかけであるのだ。案の定だった。

すると剥がせというので口論となり破り捨てたが、今も捨てられないまま残っている。

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 私が辺鄙な山奥の留置場にいた頃、新聞で酒鬼薔薇が関東医療から仮退院した事を知った。事件から何年経ったのかと振り返りながら、まさか自分がこんな所にいるとは思いもしなかっただろうなと当時を思い出していた。

その日、私が新聞をあまりにも食い入るように読んでいたため、留置管理課が房越しに「なに読んでる?」と聞いてきて、「いやあ、酒鬼薔薇が仮退院ですって」と言うと、「ああ」とそっけない返事のあと暫く話し込んでいた。

 その後、送られた特別少年院で2年が過ぎた頃、酒鬼薔薇のいう「バモイドオキ神」とは一体何だったのかと考えていた時期があって、2年1ヶ月目の13日付けの手紙に「バモイドオキ神概論」について触れていた。2年1ヶ月目となると課題の自分史に書く事が無くなってくるので、空想小説の「森蘭丸」を書く傍らで、バモイドオキ神についての論文を完成させようと努めていた。仮退院する時にそれらノートと日記をどうしても持って帰らせて下さいと再三頼み込んだが適わなかった。
ちなみに日記はある程度の年数が経つとまとめて焼却処分すると言っていた。勿体無い・・・少年院の日記には在院中に我々の汗と涙と嘘と誠が入り混じっている。

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次に発信した手紙には、医療刑務所の精神科医との会話があり、そこに「悪の象徴バモイドオキ神」と記載があった。

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「悪の象徴」と仮定した背景には、私が中等短期にいた頃に院長訓戒の処分を受けてしまい、その院長の言葉に由来する。

 院長は「真人間になるまで出さないぞ」と訓戒され、復寮してから「真人間とはどのような人間だろうか」と真剣に考え倒していた。

聖人君子のような人間であるならば、仮退院していく少年の中に、聖人君子のように一点の翳りも見当たらない者はいただろうかと考えた。

 ギリで浮きまくっていた大学生の少年は礼儀から人柄から真面目一辺倒の少年で、この人はなぜこんなところに来てしまったのかと思えてならない人だったが、真人間かというと些か疑問が残る。

では真人間なんてものは、この世の中に存在しないのではないかという疑念に駆られてきた。

 真人間ではないのに出ていったのはなぜか→真人間を偽ったからではないか→偽りの真人間とは何か→悪い人間だ→悪い人間とは魔人間だと結論付けた。
 
 いまこうして書いていると狂人的に思えてくるが、当時は「善の真人間」と「悪の魔人間」が私たち「人間」の内面には混在していて、我々人間は魔人間に打ち勝ち、真人間となるべくして、自己の闘争に勝利しなければならないのだ

みたく一人で自己哲学ぶっていた。

特別少年院に来てから、ひょっとして酒鬼薔薇のバモイドオキ神ってのも、発生原因は似ているのではないかと模索し始めていた。

発生原因の一つに虐待があって、イマジナリープレイメイトには「えぐりちゃん」、バモイドオキ神は自己防衛や悪行の正当化など前述した「真人間」と「魔人間」を包括したものではないか。

。。

・名札がパタン
 特別少年院の平日の寮内日課にて、外部からたまに見学がやってくる事があった。
 BBSや更生保護女性会が多く、たまに司法修習生がやって来た。事前に当直の法務教官から説明があり、「午後から外部の方が来られるけども、あんたらはいつも通り日課に集中しておけばいいから。くれぐれもキョロキョロしてみたりせんように」という具合だった。
 そろそろ来ると分かる頃になると、法務教官が一人で端から端までの単独室にかけられた我々の名札を「パタン」「パタン」「パタン」と順に裏へと変えていく。(この音が非常に心地よくたまに聞きたくなる。花札をペタン!とひっくり返す音とちょっと違うか?)

 このとき私はやって来る見学者と極力目を合わせるようにしていたかな。単独室なので法務教官が一部屋ずつの様子について見ていられない。集団寮でも別に出来ないとは思わないが、実科中や体育中だとよそ見は目立つので、叱られるかもしれん。
なぜわざわざ目を合わせていたかというと、
①やってくる大人はどんな目で私たちを見ているのかという確認がしたかった。
②やってくる大人に自分の目を見てもらうべきだと思った。(貴方がたに、少年院に収容されている少年の目はどう映りますか?というような)

ただ思い返すに、②の時に頭に浮かぶ映像は晴天のように外が明るく、大抵自分が「いくらでも見てください」という自信の表れが強い頃に思え、
 正直また見学か・・まるで動物園の檻だな・・と感じる時は早く帰ってほしいと思ってしまい、その時の映像は曇りのように部屋が暗い思い出ばかり浮かんでくる。医療刑務所への精神鑑定間際に見学があった時も、悪いですが今日は勘弁してほしいという心境だった。

(中等短期にいた頃はまだ「更生保護婦人会」と呼ばれていて、特別に来ると「更生保護女性会」と変わっており、先生に問うたところ「婦人」という表現が一部差別的であるとかで変更されたのだとか。では「右翼」にも「婦人会」があったので「右翼女性会」に変更した方がいいのかな等と考えていた事がある)

。。

・暗号会話の少年(人間は制限された場所に身を置くと知恵を使うと感じた話①)
 私が特別少年院の2回目新入時寮時代、1人の少年が少年鑑別所から送られて来た。
 入浴室の真向かいなので単独5室か6室に彼(A君)が入った。このとき私は入口から1番奥。
 入浴の順番が回ってきて、その日もいつも通り入っていた。
うちの単独寮は制限時間が15分で、中等短期では10分だったように思うが、ギリギリまで入っていると新入寮の先生に「外に出て身体をふいて浴室点検をお願いしますまでが15分だ、そんなのんびり入って間に合うのか」と叱られる。
 なので目安として13分ほどで出てしまうようにしていたが、その日私は「浴室の点検お願いします!」と言っても、遠くから「おーちょっと待ってくれー」とよくあることだった。
 すると浴室の入口から廊下を挟んで目の前にある居室から、A君がこちらを凝視していた。A君は少年院が初めての中等生だったが、入りたてはキョロキョロする少年が割かしいた。
 A君はこちらを睨んでいるような威嚇は全く感じられず、物珍しそうに私を観察している様子だった。
 少年院が初めてだと所作が分からない少年もいるので、なるべく叱られないように他生の動作を確認する事はあるので、こちらも悪い気は全くしていなった。
 やがて先生が「わるいわるい」と戻ってくると、浴室の点検が済み、この日は部屋へと戻っていった。A君は先生がやってきた瞬間には少年院のしおりか何かを読みだしていた。

 そして日にちを跨いで次の入浴日なので、2日後か3日後のことである。
 私はまた12.3分で浴室から出てみると相変わらずA君は私を見ている。
段々とこちらも面白くなってきて、「浴室の点検お願いします!」をわざとこの日は言わなかった。
 すると30秒ほど経過した頃か、A君が私に口パクで何かを述べた。中等短期でもお婆ちゃん想いの少年が仮退院2日前に寮から去った時、私に口パクで最後の別れを伝えてきた事があった。なのでA君が口パクした時に何を言っているのか全く分からなかったが、この日から読唇術に興味が湧き、先生が会話する際に口元を観察するようになった。何かしらヒントが必ずあると思ったからだ。

 A君の口パクから数日後、単独室の部屋替えとなった。私は2回目の新入時でバッジの色が一人だけ違うので、そういう訳有は1番奥に配置される事が多かったのだが、その日は寮主任先生が「気分転換に部屋を変えてやろか?」と言われ、私は他の記事でも述べたようにあまり部屋替えが好きではない。
むしろ、年がら年中同じ部屋の方が落ち着くタイプだった。しかしこういう滅多に訪れない事には後でやっぱりあの時にと思いたくないので、またその内奥に固定だろうと感じ部屋を変えて貰った。
そうそうこの時に、私が元いた1番奥の部屋を他の少年に入られる抵抗感のような妙な感覚が芽生え、まるで私の大事な場所が他人に入られたような変な気持ちだった。
 結局私は7室か8室辺りに移り、入口から見て右隣にA君、左側にB君が入った。

居室替えしたその日から、ある事が始まった。

私が読書していると、単独室のどこかから、

コンコンコンコンコンコンコン...

のちにこれが「真夜中の怪音事件」と私が勝手に呼び出す事はこの時、誰も知らない。

そのコンコンコンコンという音は明らかに隣の部屋からA君が意思表示しているもので、私が右隣の壁にコンコンと返すと、やはり隣からもコンコンと返ってくる。

この日からコンコンコンコンと右人差し指の関節を曲げて叩きあう繰り返しが続いた。正直、読書中にこれが始まるとちょっと面倒に思ったが、A君はいずれ2ヶ月目になれば集団寮へと移っていくため、まあいいやとコンコンやりあっていた。

すると2、3日目のある日、A君が洗濯物の仕分けを任されてレクリエーション室に入っていった。いつも洗濯物は寮生に仕分けをさせて食器口から入れさせていた。

数分後、洗濯物の仕分けを終えたA君が法務教官付き添いの下、体操着、体操ズボン、パンツ、靴下、ハンカチ、タオルなどを一つにまとめて食器口から投入していく。

A君「お願いします!」
 2室「お願いします!ありがとうございました!」

A君「お願いします!」
 3室「お願いします!ありがとうございました!」

と、1室(調査生専用のカメラ室)を除く、2室から順番に私の居室にも洗濯物が回ってきた。

私は洗濯物を受け取ると挨拶し、ベッドの上に洗濯物を置いてたたんでいたところ、ヒラリと折り畳まれたチリ紙が1枚床に落ちた。

この瞬間に察したのは、中等短期でも1人の少年が住所を記したチリ氏を丸めて私の部屋にうまい具合に放り入れた事がある。その際、放り入れた動作が怪しまれないように指差し確認のポーズで、居室内の私の足の姿勢を指差すように見せかけ、「○○君、足の姿勢に気をつけて下さい」と指摘したふりをして、不正通信(文面で住所や電話番号を伝える事)に及んで来た経験がある。

院内の不正連絡や不正通信の様子を聞いていると、みんなあの手この手を使っているようで、法務教官はここらへんに要警戒が必要だろう。

ただ私が中等短期にいた頃、他の少年があまりにも不正連絡や不正通信で調査となる事が相次いだとき、寮主任に呼ばれた事がある。
その時、寮主任が「次から次へと困ったもんだ、お前は週番として今の状況をどう思う?」と問われた時に言ったのは、

「正直、私が不思議なのは何故院内の不正連絡は証拠の残るやり方が多いのかなと疑問でした」

すると寮主任が「お前ならどうする」と問われたので、「私なら出会い系サイトを応用します」と返答した事があった。
 中等短期にいた当時はネットが普及して数年経過した頃で、「スタービーチ」という出会い系サイトが流行っていた。
SNSでは「モバゲー」が流行る前だったが、この当時にSNSが今ほど普及してればそう答えていただろうと思えてくる。

現にスタビでこちらが女性投稿から募集をかけ、別記事に登場した「特修短期寮の米泥棒事件」に出てくる「1番怒っていたN君」や「業務上過失致死D君」に出てくる「キャバのスカウト時代の1歳上」を始め、数人とコンタクトが取れていた。
そのため院内でわざわざ危険を犯して住所をやり取りする必要がないと感じていたのだ。
なので中等短期と特別の私に対する不正通信は全て相手側からだったが、中等短期の寮主任は出会い系サイトを使うと言った事について「それをされてしまうと、もうワシらお手上げだな」と嘆いていた。防ぎようにないのは確かにそうだと思う。現に今ではSNSや専用の掲示板もあるので、簡単に繋がる時代となった。

さて、A君からのチリ紙には大体こう書いてあった。チリ紙にボールペンで細かな字がしたためられ、安全を第一に考えて日記記入の時間に日記と机の間にチリ紙を隠して読み、不自然な姿勢を出さないように心がけていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー一一一一
○○ちゃん 地元どこ? (一人称)は○○県 ○○むかつくわ 
(一人称) いいことおもいついたからまた書くな
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー一一一一

まず、A君の一人称がとても特徴的で、私は初めて聞いたものだった。
別記事の「傷害致死A君」でも触れたが、方言というのは非常に個人の特徴を示すため、ある時期に少年一人一人のイントネーションや用いる単語について観察し始めた要因でもある。
それらの判別が容易となれば、社会に出た頃に思想活動を続けるなら諜報の分野に応用が効くと感じた。

A君が当時むかついていたのは、ある先生についてで、私にとって父親のような存在となっていた先生だったため、この点だけ残念だった。それでも新入生の頃は叱られる事が多い分、そう思ってしまう少年がいるのだろうと感じ、出院する頃には好きに変わっている少年も沢山いる。現にA君とは当時2ちゃんねる時代のある事件スレッドで再会(本当に本人)したが、その先生のことは好きになっていて嬉しかった。

私は前述した経緯からなるべく「受信側」に徹しようと思った。リスクを避けたいからだ。また、私は遠方の更生保護施設へ帰住する可能性が高い時期でもあり、連絡を取ったところでどうにもならないと思っていた。

私は文面の最後にある「いいこと」とは何か気になった。

翌日の出寮の合図と共に居室を出るとA君に(読んだ)とばかり目で合図する。

行動訓練と体育を終えて帰寮すると、私が新入寮で大好きだった「オリエンテーション」が始まった。
 オリエンテーションでは主に新入生を対象に院内の心構えやらを法務教官が話すのだが、時折、法務教官が前に勤務していた頃の話題があったり、趣味の話をされるので非常に興味深かった。

オリエンテーション途中や終わった頃に洗濯物の仕分けがまた始まる。この時に仕分けを任される少年は法務教官次第であったが、呼ばれる確率が高い少年は①新入生の中で古い少年、②新入時に調査や反省となり再起し始めた少年、このパターンが多かった。
 A君は②で、A君が不正通信時に記した「先生にむかつく」という感情は、衣類の畳み方で厳しく指導された後に調査となり、1室のカメラ部屋に入っていた経緯に由来するものだった。

 次は私が仕分けで呼ばれ、勿論こちらから発信する気は無かったので通常通りに仕分けが終わると法務教官と共に配る。
 思い出すのは、洗濯物の仕分けを始める時と終わった時に「軽い身体検査」があった。警察が職務質問した際に時折するポンポンとポケットの上から軽く叩くようなもので、不正通信用のチリ紙ほどの厚みだと発覚のリスクが低かった。
それでも万が一があるので極力避けたい訳だった。

それから数日し、今度はA君が仕分けで呼ばれた。この間、先生が何か大声を出す度にバレたのではないだろうなと、声に全神経を集中させる思いであり、読書どころでは無かった。

A君が洗濯物を配り終えると、案の定また不正通信のチリ紙が出てきた。

今度はビッシリと長文で米粒より少し大きい文字が羅列されているため、日記記入時間の解読が大変だった。日記をサラッと書き終える手前までペンを走らせ、途中、窓側からも不意に巡回がやってくる為、「まだ書いている途中である」という様子を出さねばならないと感じていた。

要約すると、不正通信の内容はこうだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー一一一
携帯メールの文字変換やポケベルの方法で、壁を叩く回数と間隔をあけて会話しよ。これならバレない
例えば、(説明)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー一一一
この時、私は純粋に「面白い」と思った。
それまでいた少年院で聞いたことがない方法だった為、本当にそのような事が可能であるのかと想像すると、もう私の好奇心が抑えられなくなっていた。

また、それまでは単に適当なコンコンという音の意思表示から、コンコンの音に意味をもたせるとなると没頭してしまい巡回で発覚するリスクが高まるという危惧もあった。

しかし、こんな提案をしてくる少年は後にも先に現れないと思えると、この実験は一人では出来ず、機会を逃せば試すチャンスは二度と無いだろうと思えた。
今回ばかりはこちらも提案の不正通信を送ろうと決心した。それでバレたら諦めようと思った。

説明文には、ポケベルの例として「おやすみ」の変換として、「0833」とあった筈だが、私はまずポケベルを持ったことすら無いので、変換方法は携帯メールの文字変換に絞ろうと思った。

そこから互いに提案を重ね決まったのは、

まず最初の音が、

1回ならあ行 コン
2回ならか行 コンコン
3回ならさ行 コンコンコン
4回ならた行 コンコンコンコン
5回ならな行、6回ならは行、7回ならま行、8回ならや行、9回ならら行

次に一定の間隔を置き、1回から5回にわたって壁を叩くと文字に変換できてしまう。

問題は「わ行」の0に相当する場合であったが、「わ行」は、「わ」と「を」と「ん」しかない。

「を」は「お」で代用が可能だった。
(つまり、コン、間隔、コンコンコンコンコン)

そして、「わ」を「は」に置き換えてもよかったが、ややこしくなるので、「わ」と「ん」を極力使わないように伝達文を構成するように努めた。

また、どうしても「ん」などを使わざるを得ない場合は「ん」を飛ばして文字を続け、受信側が察するしかないという具合に決まった。

間違って打電した場合は、「壁連打」をする事で前一文字削除だったが、実際に行ってみると壁連打が途中に入ると双方が混乱するようで音が止まってしまう状況が増えた。
そこで「壁連打」は「最初からやり直し」へと意味が変わっていく。

最初は簡単な「おやすみ」と「おはよう」ばっかりだった。

コン 間隔 コンコンコンコンコン 
コンコンコンコンコンコンコンコン 間隔 コン
コンコンコン 間隔 コンコンコン
コンコンコンコンコンコンコン 間隔 コンコン

「や」のような8回が最初に来る場合は、もう何が言いたいのか分かり、お互いに煩わしかったかもしれない。

そして部屋の構造として、単独居室内の右側にはベッドがあり、左側に机があるため、机に座っている時間はA君からの「壁打電」が多く、就寝後は私からの「壁打電」が多くなるのは自然だった。すると段々と大変になってくるため、入口から見て正面にある窓の下、つまり居室左右の真ん中をコンコンするようになる。

次第に長文の「壁打電」を試みるようになると、必然的に「壁連打」によるやり直しが増え、それでも互いに慣れだした頃には、

「きよう(今日)」「あした(明日)」から「地名」「院生」「先生」の名前などが出来上がり、
中には「てわはこう(電話番号)」で通じず、「てるはこう(電話番号)」を試み、「もしもしはこう(電話番号)」でやっと通じるなどの試行錯誤が繰り返されていた。

それらしい暗号が出来始めてくると、

「(都道府県名)(地名) ひかし(東)こうえ(公園)」のような伝達文が通じ始め、いよいよ面白くなり夢中になっていた。

そんなある日の事である。

寮主任先生が大声で、

「おおおおい!ええかあ!よお聞けよ!」

(オリエンテーションはじめるぞおおお!)だろうなと思っていると、

「ちかごろ、この寮内でおかしな音を出しとる者がいる!」

この時、ドキッとし、

「ぼくも聞きましたという者がいたら教えるように!ええなあ!日記でもかまわないから!」

そろそろ潮時だなと思いながら平然を装っていると、洗濯物干し場がある窓側の細い通路から、U先生がなめるようにして一人ひとりの顔に動揺の色がないかを確かめるかのように不意の巡回に来た。

いつもどおりの巡回だったのかもしれないが、この日ばかりはこちらも警戒しているため、そう感じずにはいられなかった。

すると巡回を終えたU先生が私の居室の鍵を「ガチャガチャ」と解錠し、(くるか、くるか)とポーカーフェイスを演じていると「○○悪いけど、洗濯物いいか」と頼まれた。

 のちにA君曰く、とうとう発覚して私が連れて行かれたと感じていた。確か私が洗濯物の仕分けを始めてすぐ、U先生はA君の居室に入っていった気もするが定かでない。

洗濯物の仕分けを終えると、今度は寮主任先生が「おい○○」と来たのはいつもの事で、降級されてからというもの、とにかく何か起きればすぐに聞きに来られる立場ではあった。

なので情報がその分入る事もあり、どうやら新入生の誰かが報告しているという事がここで直感させられ、ああ左隣のB君だと分かった。というのも、ある時期にB君の部屋に進級式でも無いのに面接があり、その部屋から法務教官が立ち去った直後から怪しんでいると感じていた。前日の日記で報告があったと思う。

寮主任先生はこの時、勤務経験が長いプロであるためか(お前を疑っている訳ではなく、新入寮が長い古株に聞きに来ているだけだ)という自然な様子を一貫させながら「おい○○、最近おかしな音を聞いてないか?なにか心当たりがあれば教えてくれ」と言うので、

「うーん音ですか?夜になると虫の音はよく聞こえますけど、変な音というのは特に」という具合に述べたあと「僕も不審な音が聞こえたらすぐ先生に伝えます」と述べ、その日は終わった。

その日に言い出すとおかしいので、3日後あたりの日記にて「連日問題となっていた「真夜中の怪音事件」についてですが、昨日の就寝後に他の寮の方から大きな音は確かに聞こえました」と伝えた。

その寮は後に私が終の住処となる「昼夜間単独寮」であり、謹慎生や調査生も入るので、時に暴れる者がいる。音が発生したところで何ら不思議な事ではないからだった。

すると日記の翌日、寮主任先生とU先生が共に私の居室へとやって来た。
寮主任先生は「怪音事件ておまえw」と大笑いされ、あの堅めのU先生まで笑いながら、「怪音事件の犯人が誰か分かったら教えてくれよ」とでていった。

この騒動となって暫く、私とA君は「壁打電」の回数がめっきり減り、ピタッと辞めると逆に怪しいと感じて細心の注意を払いながら1日に1回や2回の暗号の打電に留めていた。

暗号会話はその後、A君の2級上進級とともに転寮し終わりを迎える。

私が暗号そのものに興味を持った大きな出来事でもあり、北朝鮮のA3放送が再開された頃には、下記写真のように規則性の有無や受信する工作員のテキストに示された単語予測を楽しんでいた。

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 仮退院後に暗号会話を振り返る中ふと思ったのは、お互いにモールス信号を熟知していれば更に面白かった。

 壁打電の場合はト(・)が打てても、ツー(ー)が打てないので応用として考えられるのは、ト(・)はそのまま壁ドン1打、ツー(ー)は2連打。
しかし、誤伝しない為にも一定の速度を発信者と受信者が慣れておく必要がありそう。
そのため互いに慣れてきても高速打電が打ちにくくなる。

 また単独室に1台ずつモールス打電機を置けば面白いだろうと想像していた。報知板の変わりにモールスで用件を伝える。
少年院のしおりにモールス信号の打ち方という項目があるのを想像するとおかしくなってくる。

暗号に興味を抱かせてくれたA君に感謝すると共に、もし健全な生活にあるのであれば食事でも奢らせて欲しい。

。。

・嫌でも体験殺人事件を思い出す
女性の頭を金づちで殴打、中3「人を殺してみたかった」大阪

平成12年5月1日、愛知県豊川市で17歳の少年が主婦を殺害した事件。その際も金づちと刃物が使用されていた。結局、少年は医療少年院送致に相当長期処遇の勧告が付いていた。
ルポライターの藤井誠二氏がこの事件を取材していたと思う。
「体験殺人」という名が世に出た時、「人を殺める体験」をして本人に何が得られるのかと考えていた。
酒鬼薔薇事件が発生して10年以上経過した頃でも、酒鬼薔薇に対して熱心な若い世代がいて、過去の事件を徹底的に調べているんだなと感じたものだった。
その後に東名高速のバスジャックが発生した頃には、西鉄バスジャックを思い出していたが、その少年の親が西鉄バスジャックを知っていたようで子に話した事があるだか、少年自身が調べただかで報道されていたように思う。
今回の少年も過去に体験殺人を調べていたのだろうか。

。。

・ダンマパダより
「戦場において百万人に勝つよりも、ただ一つの自己に勝つ者こそ、実に最上の勝利者である。自己に打ち勝つ事は、他の人々に打ち勝つ事より、優れている」第8章・千という数にちなんで

・謹慎17日+謹慎7日-謹慎4日免除
特別少年院に送られて初めての年の11月末に調査となり、その後謹慎17日と階級降下及び降寮を言い渡され、その途中で馬鹿馬鹿しくなり再調査を経て謹慎7日が言い渡されたものであるが、年越しの1月3日だか4日に残り期間免除となり謹慎20日の満期を座った。
その20日間というのは過酷だったが、今マントラ禅やらの行(訓練)に比べれば少年院の謹慎20日は全くマシに思えてならない。山や樹海に修行で入るということは「死」と直結する訳であるから、生半可な覚悟では死へ帰る日が早まってしまう。
すると準備期間の現在、少年院の謹慎20日などウォーミングアップだったと思える程に、自己を追い込んでいないとおかしい訳だ。新しいヨガマット買って来た。古いのは外に持っていく。
 
・これから出家ですか?
美容院で髪を切った帰りにマントラで日頃唱えている「般若心経」に関連する本を買いに行った。古書屋のおやっさんに「般若心経のサンスクリット版ありませんか」と尋ねてみると、「ああお坊さん?」、私「いえ修行の身です」、「ああこれから出家?」私「うーん似たようなものですかね」と苦笑いした。
とりあえず、カーマ・スートラ、カーラチャクラ・タントラとイニシエーションに関する書、陸奥宗光の蹇々録、マルクス、エンゲルスの共産党宣言(2冊目)、般若心経、金剛般若経を買って帰った。

・カーマ・スートラ
このカーマ・スートラが古代インド時代から重要視されてきた背景について、第二部の性的結合を読んで理解させられたような気が・・・。
男性のアレの大きさは兎男・牛男・馬男と三階級に区分されるとの事で、女性のソレの深さは鹿女・馬女・象女のいずれからしい。
結論から言って、馬男と馬女、牛男と鹿女とは高結合で、馬男と鹿女は最高結合、象女と兎男は最低結合らしい。
その上で最も望ましい結合とは等結合で、最高結合と最低結合は最悪とある。 
昔、仲間内の会話にてこの手の事を熱弁していた仲間は、ある意味悟っていたのだろうか等と思いながら読んでいた。 

・メディア
久しぶりに知人(でいいでしょうか?)N氏のブログを覗くと、メディアとその情報による弊害について呆れておられたので私も便乗がてら一つ。
共感させられる上で、結論から述べて「メディアの限界」と私は感じています。善悪二元論に終始してしまうのはN氏がぼやかれる通り、「報じる上で分かりやすさに徹する」とああなるのでしょう。報道枠に使える時間が決まっている中、「事実の通知」と「受け取る側に向けた問いかけ(帰着)」の途中にどれほど挟めるか。
 私は「死刑絶対肯定論を読んでそのニ」で紹介した事例⑤の発生当日、取材に応じた。その時、私は取材に応じる「条件」として事前に「①これから話す事を端折らずに全て流す事、②被害者側にとって不利な発言も出てしまうがカットしない事」を提示したところ、取材者は「承諾」したので応じたのです。
 そのため長くならぬように結論と要点を掻い摘み、容量として3分にも満たない内容を述べた。
するとどうだろう、事前の約束は反故され、都合の良い部分つまりメディアが当時報じる上で帰結させたい流れに沿う部分のみ報じた。その内容では加害少年が本件に至るまでに、被害者側から受けていた心理的抑圧は勿論、それに伴う器物損壊、交通事故の因果関係すら証明出来ず、ただ殺したという事実と前後状況の「イライラしていた」という抽象的な様子ばかり強調されてしまう。
 記者に私が「犯行前に意味深なメールを送って来たり、何かに悩んでいる様子だった。」と述べても記者は「でも少年に問題があったから結局こうなってしまったんですよね?」
端からそういうコメントを期待していたのであれば、そう言えばよかった。私は取材を受けなかったのだから。
その上、被害者グループ(心理的加虐の共犯側)の一人で後に別件逮捕された人物の取材内容を流したまではいいが、語った事といえば自分らが心理的抑圧に加担していた背景について勿論隠そうとするので、一番間近にいて加害少年を見ていた側の者が漠然と「様子がおかしかった」ふざけるなと言いたかったですよ。
 N氏に話を戻すと、毎度毎度関連の話題が出る度に口先三寸の交渉を強いられて来たでしょうから、嫌気が指されたのは十分理解できてしまう。結局、真摯な取材対応をされる取材者が残るというのも自然な事に思えてならないです。
 またN氏の言うように、一つの事件について「長い時間をかけて細かい取材をしなければまともな結論なんて出る訳がない」以上は、スピード重視の取材であってもせめてフェアに努めてもらいたいものです。

・空元論
 最近、漠然と「二元論」が過去の自分に「苦」を引き起こしていたのではないかと思えてならない。白か黒か、善か悪か、何事においても対義語を模索し、答えが見つからないとモヤモヤしながら悶々としていた。特別少年院時代、担任の先生が「世の中、白か黒かではない」と述べられ、漠然とそうなんだろうと思いつつも、そうだろうかと何処か訝しんでいた。
 仏教の「空」について楽しみだしてから、二元論に関連させて苦悶していたであろう過去の自分が滑稽でおかしくてたまらなくなっている。
 「空の思想」について今現在においては厳密ではないだろうが、勝手に「空元論」と呼びながら楽しませていただきたい。二元論との対比表現に用いる上で楽でさ。
 また色即是空・空即是色の「色」について、「形あるもの」がしっくり来てしまう。訳者が物質的現象と置き換えて説明なさったのは、それだけ訳者の親切心ではないだろうか。
「形あるもの」だとまだ漠然としているので、もう一歩踏み込もうという熱心さのような気がした。
 私はその漠然さが却って「色」をより具現化させているように感じるのだろうか。
 ところで仏教にもキリスト教の「罪の告白」みたいな概念は無かったっけ?→懺悔


・ダンテスダイジ
 クンダリーニ・ヨーガの章にて、ダンテスダイジは「生がわかれば死がわかるのである。いいや、生がわかれば、生も死もないことがわかるのである」また「私達は、死が何であるかを知らない故に怖れる」という。
私が「これまでの人生は幸いの連続」だったと感じられてくる一つに、「死」というものについて考えたきっかけが「人間はなぜ生きているのか」という「生」を模索する延長に在った事だろうか。万が一「死」が先に来ていたら、恐らく「出口の見えない闇一色」に突き進み、更に彷徨い歩いていたように思えてくる。
 中学生のある時期、「人間はなせ生きていると思う?」と母や同級生や先生に聞いてみると、「幸せになるため」「息をするため」「その答えを見つけるため」とバラバラで答えが見つからず、次は「人間は死ぬとどこへ行くのだろうな」と考え出した。
 するとダンテスダイジのいうように、漠然とした死に対する恐怖が訪れ、母が仕事に出ていく度に道路を気をつけろだの過剰な心配を強めるものだから、「急にどうしたのか」に始まり、果てには「縁起の悪い事を言うな」と怒られてしまった。
 今現在、その当時に抱いていた「死に対する漠然とした怯え、不安」は、全くの無根拠による想像が肥大化していたに過ぎないと思えるため、クスクスとおかしくなるのだ。
 そしてまた少年院という場所が、非常に適していたと思えてくるのは「深く考え込む果てに自己本位に陥りやすい」というリスクに対し、「法務教官」という助言者が複数存在し軌道修正を仕掛けてくる。それもどんな事でも打てば響くように、問いを投げると必ず返ってくる場所だった。
 もし一人で自己完結してしまうと「これは絶対にこうだ」と凝り固まって、独りよがりや自己本位に陥りやすくなり、似た者同士で集まる中で安楽を得ようとしていた筈だった。

 のちに長くいた昼夜間単独寮は特別と中等の全ての寮の先生が日替わりで交代に当直するため、多くの価値観に触れられる場所というのも幸いだった。法務教官でさえ人間であるが故に時に誤るだろうから、多様な価値観に触れる場面では考えさせられる。
 多様であればあるほど法務教官によって見解が別れる場面が多々あり、何度かA先生とB先生で全く異なる指示をしてきた事があった。その場合、B先生に従ってA先生がやって来た時に「お前さっき先生はこうしろと言ったよな?」となると、事情説明で何とでもなるような事でも、万が一には抗弁と取られてしまう場所なので一々聞いていた。
 B先生に「A先生からこうしろと言われたのですが、どうすべきでしょうか」と問うと、ある場合には「おそらくA先生はこう思って、そういう指示を出したと思うので、とりあえず今はああして」や時には「私はそう思わないな、まあA先生がどういった意図か分からないが、今はこうでいい」と答えが返ってくる。その時の指示に従った後に、自分なりにどちらが適していたかを考えるのがまた楽しかった。
 何となく、あの少年院時代が無ければドツボにハマっていたのだろう。ダンテスダイジが記している事以外にも、中等短期には「仏教クラブ」「法華クラブ」「キリストクラブ」と「内観法」、特別少年院にも「鏡の法則」やら仏教キリストにに関する話が所々に出てくるので、今こうして仏教系の書を読んでいると「これは特別少年院で、」や「ああ中等短期の」と思い出し至福となる。そういや久しぶりに休日の夜から明け方まで外でマントラ禅に坐りに向かうので、禅寺と知人のヨガ教室にも顔を出して来ようと考えます。ダンテスダイジが禅寺に通った頃、師が両手をパチンと叩いて、隻手はどんな音であるか?その音を持ってこいにしても、特別少年院で読んだ伊達政宗の1巻にて幼少期の政宗が似たような事を尋ねられていたなと楽しくなった。「この音は右手か左手のどちらが鳴っている?」というものだった。当時、私は単独寮にいて伊達政宗の頁を繰るのを一時中断し、一日ウキウキしながら考えていたのを思い出します。また、丹田禅については中等短期でコーラスメンバーに選んで頂いた際、指導者のM先生と外部講師のY先生が腹式呼吸について教えてくださり、丹田についても少し教えて頂けました。ああ楽しい。

・音から分かること
・911(少年院で感じ取った異変)
・アメリカの少年院
・インシャアッラー
・山奥の留置場
・山岡荘八の徳川家康
・ダンテスダイジ
・押収品目録交付書「爆弾学ノート」
・陸上自衛隊と学童保育
・ああ祖国ロシア
・Tor接続
・イラン大使館
・ヤマトヌマエビとミナミヌマエビ
・極東防米ラインの建設を夢見た日
・明智光秀公と仕事面接
・イラク代表
・特別少年院の潜水



メモ置き場③
真人間?魔人間?まあ人間
2020年7月19日 22:46
特少でのパンツ事情について重大な事を思い出しました。

私がいた特少ではパンツは皆買っていました。
初めての購入が新入寮時期になるから、届くと何となく嬉しそうなんですよね。はっきりと金額は覚えていないけど1枚300円ほどだった気がする。
それも柄が3種類から5種類ほどあり、千代紙によくありそうな柄でした。格子模様みたいなものとか、ちょっと和っぽいものから、水玉模様まであった。
私は水玉模様と他二種類を持っていて、集団寮に移ってから(へ〜そんな柄もあるのか)という具合でした。
ちなみに柄は選べません。ランダムに法務教官が持ってくる。

そこで大事な事を思い出したのは、覚えている限りたった一人だけパンツを購入せず、鑑別所などで履くブカブカの白パン(トランクス)を履いている少年がいた。

強盗致死のA君です。同じ部屋になった時に(あれ?A君まだこれを履いているんだな)と感じて、別段お金が無かった人でもなくて便箋やらは買っていました。確かシャンプーも寮に備え付けのメリットを使っていたような。

被害弁済に少しでも当てたいのか、元々倹約家なのかは分かりません。ですが見栄や虚勢とは程遠い人だったと思い返します。強いて言うなら一度だけ見栄や虚勢とは少しちがうのだろうけど、「1級上」になると意見発表会と呼ばれる総まとめがあります。

全院生を前に作文を体育館で読むものです。

強盗致死君の意見発表会で印象深く残っている部分は「僕の少年審判では、裁判官から裁判所始まって以来の前代未聞の凶悪事件だと言われました」

確かに亡くなっている上に、罪状が強盗致死ですので間違っていませんが、聞く人によっては「だから何だよ?お前それかっこいいとでも思ってんの?」という印象を与えてしまったからなのか、寮生の中には面白く感じない人が出てしまうんですよね。大変だ

それでも、それほどの大事だったからこそ僕はここに来てからも他の院生とは距離を置いて、いくらなじられようが耐え忍んで己を見つめ直して来たんだという自負が彼にあったのかも分からないし、本人のみぞ知るところです。

強盗致死君については私も一言彼に謝るべきところがあります。同じ部屋の時に部屋ごと調査で彼も巻き込まれた。
私と多額窃盗の少年こそ調査になって然るべきだった。

それで調査成り立ての頃に、強盗致死君が謳ったんだなと邪推し、調査担当のK先生が来られる度に「知ってますよ、A君がチクったんでしょ?」「でもなんで僕らだけ疑いの目で見られて、A君の話ばかり耳を貸すんですか?」と見苦しく詰め寄ると

K先生「あんたまだそんな事言ってんの?だから先生もAを調査に入れとるやろうが!」と叱られました。

それで強盗致死君が本当に大人だったと思える点として、調査中にK先生が「Aがあんたと少し話したいんやって」と来た祭、応じると洗濯室(別名レクリエーション室とも)にパイプイスを2つ置かれて、K先生立会の下でA君と面と向かい合いました。

するとA君が開口一番に言った言葉をよく覚えてる。

A君「僕、〇〇君(私)や〇〇君(多額少年)のこと怒ったり恨んだりしてないんです。」

この時は本当に子ども過ぎた・・・今強く思う。

私はこの言葉を聞いてこう思ってしまった。

(どこまで善人ぶるんだ)

自分は清く正しいと見せつけ、僕は怒っていません、恨んでいません?

ふん、その腹の中を見せてみろよ。

よし、どっちみち調査だ、その腹の中引きずりだしてやるから

私「いやA君、もう本当のこと言いませんか?」

A君「僕は本当ですよ・・」とK先生に困った顔を向ける。

私「もう全部分かってますよ、A君が全部チクったのも含めて」

A君が「それは、当たり前じゃないですか!」と語気が強まり、そら来たと言わんばかりに「はあ?お前やっぱり言うとるんやんけ?」

ここでK先生が唇を震わせるほど大激怒しました。

K先生「あんたそこまで腐っとるんか?・・・・どれだけAが!お前のことも穏便に!済ませようと考えてくれてたのか分からんと!もうええ、こんなんやめや」

と、切り上げさせようとし、

A君が戸惑いながらK先生に「でもまだ僕、〇〇君に・・・」

K先生「ええ、ええ、こんなアホに言うことない。先生はAが調査中にどれだけ苦しんだのか見てるから腹が立って仕方がないわ。言うても無駄。信じた先生も馬鹿やった。さあ立ったあ、部屋戻るぞー」と立ち上がり出した時に、

A君が私に「さっき言った事は本当なんで、〇〇君のこと許してますから」

私は無言で去りました。

単独室に戻ってからも内省しながら(Aは腹黒い、あいつは本心で話していない、先生も騙されている)と疑っていたと思います。

私が後に昼夜間単独生となった頃、A君との一件がどうしても心に引っかかり、特少寮の先生に「一度で良いのでA君に謝らせてもらえませんか、あれは僕が悪いです。A君は悪くなかった」と言うと、言われました。

K先生「そんな事は分かっとる。先生は何年この仕事しとると思ってんねん。まあ、それはAに先生から伝えとくわ。お前は今こんな状態やから」

医療少年院に送ってくれの少し前で、自分が何者かと考えていた頃で、とにかく今までの事を毎日振り返っていた時期でした。

直接謝る機会に恵まれなかった事だけが心残りです。

。。

。。

私が中学1年の頃、部活の先輩が自殺してしまった。
その先輩は3年で、いじめてた連中は3年主将A、3年B、3年Cで、顧問が殆どやって来ない。
ある日、私達が乱取りといって2人1組で柔道の技をかけあう練習をしていると、N先輩がABCと中2部員2人と共に外に出ていった。
こういう事が数日続いた頃に、N先輩が悲痛な面持ちで戻ってきた。何があったんだろうと1年は心配するも、3年が練習に集中しろと有無を言わさず再開する。

N先輩が連れて行かれてたのは、柔道場を出てすぐの物置き小屋と化していた空き教室で、トイレの近くだった。

私達中1がトイレに行くために通ろうとすると、外に2年が見張っている。(厳密には見張らされていた)
そして3年が時折、中1に圧力をかけて脅すので中々トイレに行けなくなった。

N先輩は体格が大きくとにかく思いやりの深い先輩で、1年から一番慕われていた。後々思うのは自分が辛い分、人の痛みに敏感だったのかも知れない。

そんなある日、臨時の全校集会となった。

すると、いつもと様子が違う。そして2年と3年の方からすすり泣く声が聞こえ、見ると泣いているのは柔道部の女子ばかり。

ん?どういうこと?と思っていると生活指導のYが拡声マイクで話しだした。

「今日は皆さんに話さなければならないことがあります。」と前置きし、

記憶では昨晩、わが校の三年生であるN君が自宅で亡くなったと知らせを受けました。

クローゼットにベルトを吊るして首を引っ掛けていたと言っていた筈だった。

自殺と知った時に3年と2年の方を見て、1年生の2人を見た。

その1年2人と私はいわゆる小学校の頃に転校してきた3人組で、いつも一緒に遊んでいた。

そして、その時に2人も私と同じく心当たりがある様子だった。

虐めていた奴らは主将AとBCの3年と見張り役に駆り出されていた2年2人だろうと。

ちなみにこの3年だが、この虐めが起きる前にうちの部活から1年生の財布が紛失するという窃盗事件が起きており、顧問が犯人が名乗り出るまで私達を帰らさずに柔道場で正座させられ、帰ったのが7時を回った事があった。

その窃盗事件が起きた翌日だったかに、当時中学の近くにあったゲームショップの棚に現金だけ抜き取られた財布だけが置かれており、同じ校区で目と鼻の先である中学に連絡が入っていた。

その犯人は3年だという噂もすぐに回っていた。(なんでも1年生の部員何名かが3年に呼ばれて、3年だけが立ち入り可能だった部屋に入ると盗まれた財布が無造作に置かれていたのを目にしている者がいた)

生活指導は拡声マイクで続ける。

「今、N君が亡くなった理由についてはしっかりとこちらで調べています。なので、くれぐれも下校途中にN君について話を聞かせてほしいという人がいても相手をしないように」

隠蔽体質ここに極まるもので、うちの中学は数年前に荒れていたらしく、私達の頃には変形服は一人もいないし、校則も過剰なほど厳しくなっていた。地域の目を気にして浄化運動のような雰囲気がとても強い頃だった。(追記:いや変形服は一人いた。保健室登校だった小学校からの幼なじみがロンスカを履いてきた事が数日あった。当時はミニスカにルーズソックスの時代)

その日の帰り、転校生グループで「虐めてたのは主将らやろ」、「なんで自分が被害者面で泣いてんのか意味不明やった」「これ先生言うか?」「俺たちが逆にやられないか?」「そもそもうちの先生が信じるか?特に俺たち信用されてないやろ」

結局、悩んだ末に顧問に言うと機嫌が悪そうになり、「分かった。また聞くときに呼ぶ」と言われたまま終わってしまった。

死人口無しとはこの事だろうと全校集会の時に思った。

今ならネットで特定合戦となっていても何ら不思議ではない。

。。

次に虐め問題と直面させられたのは特少を仮退院後となる。
中等生が社会にて虐めでやり返して殺めてしまった事件である。

こういう事が周りで相次いでから「いじめ問題」を考えるようになった。

虐めにはやられた側にも問題があるという話を時に聞くが、それなら尚更話し合えと思う。問題があるので虐めて良いなんて論理が罷り通れば、野生の猿同然ではないか。
終局的に折り合わなければ分離する、過干渉せずなど方法論を練る前に、排他的にいじめ倒すというのはやはり猿的だ。

ただ少年院や刑務所内でのいじめというものは、社会とは同列に語り難いと感じる部分があり、嫌なら過干渉するなという理屈が通らない状況が含まれてしまう事がある。

例えば、行動に制限がかかってしまうため、関わりたくなくとも嫌でも顔を合わす。なので虐める側の理由の1つとして、「バレる嘘をつきまくる」にしても明らかに虐められるだけの要因を本人が作っている場合がある。
だからといって私は虐めようとは思わないが、まずは本人とどう折り合いをつけながら生活していくかを模索し、次なる手段として本人に対して話し合いを提起する。それで気まずくなろうとも構わない。言わずに互いに我慢していずれ掴み会うのが早いか遅いかだろうから。また却って事態は良い方に転ぶ事もある。医務科の法務教官と揉めた時は却って事態は好転した。
あと、保護会にいた息を吐くように嘘が出てくる人に対して、こちらが敢えて乗っかってペラペラと話させて楽しむぐらいの余裕があれば、お互いWin-Winなのにな。

まあ保護会は外にも行き来出来るので、飽きたら離れる事はできた。刑務所や少年院は鬱陶しいなと思っても決められた空間から回避出来ない分、平和的解決が選択肢にない場合にそうなりやすいんだろう。多くの場合は飛ぶのだろうけど、うちの特少だと三人中一人は深夜に助けてと叫び、もう一人はその件があったお陰で全体調査中に先生に相談出来ていたかも知れない、やはり一番耐えていたのは強盗致死君でしょう。
ある意味、別記事で書いた強盗致死君が必要以上に密告してしまうのも、少なからず抵抗だったのかもしれんとさえ思えてきた。
(お前らがそのつもりなら、こっちもどんどんチクってやるからな)みたいな。
そして言葉遣いが終始丁寧だったのも、新入りが入る度に「悪い空気に染まらずこっち側においで」という意思表示だったり、「俺はお前らみたいにならないぞ」という強い信念かも知れんし、A君には何となく当時の心境を聞いてみたくなる。

 振り返るに、逃走企図のお陰でこういう煩わしい事とは一切の距離を置けていた事は幸いだった。
集団寮は集団寮の楽しさがあったが、結局出ていく時は一人であるし、社会で関係が続く訳でもなかったし、敢えて関わる理由も見つからなかった。ましてや地元に帰る事はまず無く、矯正管区から遠く離れるので、この人は外でも話してみたいなと思う相手とも会える可能性が極めて低かった。

。。

【購入予定本】
「バウムテスト研究 いかにして統計的解釈にいたるか」ルネ・ステラ著
「バウムテスト第3版 心理的見立ての補助手段としてのバウム画研究」カール・コッホ著
「アメジスト・タブレット・プロローグ」ダンテス・ダイジ著
「エメラルド・タブレット」アトランティス人 トート著
「少年5000万円恐喝事件を読みひらく」あいち県民教育所・少年恐喝事件プロジェクト
「西遊草」清河八郎著
「意見書 大地の豚からあなたへ」加藤三郎著(新左翼)
「地下潜行:高田裕子のバラード」高田武著(中核派)
「只今潜行中●中間報告」滝田修(京大パルチザン)
「疎外論と唯物史観」黒田寛一著(革マル派)
「プロレタリア的人間の論理-資本の生産過程の根底にあるもの」黒田寛一
「ブッシュの戦争」黒田寛一
「人間改造の原理と方法」桐山靖雄著
「本願寺はなぜ東西に分裂したか」武田鏡村著
「オウムと私」林郁夫著
「心からのごめんなさいへ」品川裕香著
「現代日本の少年院教育」広田照幸 古賀正義 伊藤茂樹共著
「矯正教育の方法と展開 現場からの実践理論」財団法人矯正協会編
「神の子(上下)」薬丸岳著
「道徳感情はなぜ人を誤らせるか」管賀江留郎著
「白磁の人」江宮隆之著(特少で読んだ単行本版)
「その橋まで(上下)」水上勉著(特少で読んだ新潮文庫版)
「モモ」ミヒャエル・エンデ著(特少で読んだ古いほう)
「樅丿木は残った(上下)」山本周五郎著(特少で読んだ文庫版)
「」

ネオ・ステラの研究書に翻訳本が出ていたのは知らなかった。
武田鏡村著の本願寺〜は図書館で借りて読みましたが中々の名著でした。まず典拠を丁寧に掲載されておられるので、国立国会図書館デジタルで公開分から現物の確認が捗ります。
また、本願寺顕如のイメージがそれまでの戦好きのカリスマ坊主から理知的堅実派へと変わり、雑賀衆と本願寺の関係性についても部分的に補正されました。
対織田の石山退去にて顕如は穏便に退いたものの、雑賀衆側としてはぶっちゃけ顕如らを匿う事を迷惑に感じている節が強く、織田側の攻撃が過熱して雑賀衆との軋轢が強まる事を相当危惧していた様子が窺えた。
顕如と教如との確執も読み進めていて歯がゆさを感じるもので、教如側の徹底抗戦の思惑も理解を示せる反面、その後の分裂に大きな原因を生んだ事を思うとやるせなかった。
欲を出せば、七里家と下間家についてもう少し詳細を期待していましたが、それを加味しても十分な力作です。
極右極左関連は主に読み物としてです。彼らは何をどう主張しているのかという興味です。深入りはしません。
「矯正教育の方法と展開」は名前に聞き覚えのある先生がいて、一人は顔と独特な歩き方まではっきりと浮かぶのにどこで会ったのか不透明なんですよね。
中等短期の別の寮の先生か庶務課のいずれかだと思う。
浜崎あゆみのMも買おうか悩んだものの保留。
神の子上下は基本的にノンフィクションばかり読む私が非常に興味を惹かれるのですが、少年院描写にある程度のリアリティが保たれているかが鍵になってくるんですよね。少し期待熱が冷めるまで保留しておこう。
管賀江留郎氏の「戦前の少年犯罪」は発売してすぐ購入し拝読させて頂きました。刊行される前、御自身のブログにて資料を集めておられた頃にコメントを書きに行った覚えがあるのですが、統計からある程度の骨組みが完成されてからも抜けが無いかを調べるのが大変だったと思う。

管賀氏の「ものごとを考える時、正しいデータがなければ、それは妄想でしかない」という言葉に共感を覚え、ことに社会問題や国事に口を挟む際には自身も心がけるべきだと思った。万人がそれを遂行する事は難しい訳であるから、それなら出来る人間がデータの基礎を作って、志が同じ者が補助し合えば精度もより高められる。ある意味Wikipediaの性質と似ている。
エメラルドタブレットは私がnoteでフォローさせて頂いてる方がお読みになられていたので興味が出ました。
仮退院後に一時期、少年事件の当事者が読んだ本を私も片っ端から読んでみたり、音楽を聴いて何を想うか等考えていた事があります。
別記事の事例5酒鬼薔薇に影響された少年から薦められた漫画が「女医レイカ」と「殺し屋イチ」でした。ゴスロリ少女からは椎名林檎のメロウを薦められました。
女医レイカは全巻買って本棚にありますが、私が好きな家栽の人の精神医療版を彷彿とさせる複雑な人間ドラマが多く、考えさせられる内容でした。

【後により詳細かつ校正します】
中等短期メニュー体育館内ランニング
・時間はまちまちで大体20分から40分
中等短期では主に2寮合同体育であり、
一般短期A寮、一般短期B寮、一般短期C寮、特修短期D寮
特修短期D寮との合同体育は少々厳しめとなる。
特少では基本的に寮単位による体育であり、
新入寮A、中等中間期寮B、中等中間期寮C、中等出院準備寮D、特少寮E、昼夜間単独寮の固定メンバーのみF
昼夜間単独寮のみ体育館と中庭やグラウンドが他に使用されている場合は使えないため、必然的に寮内体育がメイン。
しかし空いている場合にはプール、体育館が使い放題となり、マンツーマン指導を受ける。
特少寮にいた頃に数回のみ中等中間期寮との合同体育となったが、特少寮はいつも以上に気合が入り「中等に負けてたまるか」という意地なのか闘争心を剥き出しに腕立て伏せ100回や持久走でバテなくなる。これも面白かった。
特少寮は行事になると中等を意識しまくるのは、少なからずうちではあった。
野球大会、サッカー大会、バレーボール大会、水泳大会、駅伝、運動会と近づき始めると寮内で上級生が「中等に負けたくない」やら「絶対にしんどくてもしんどい素振りは見せるなよ」と意思統一を図りだす場面はちらほら。この時は強盗致死少年と前の短期少同じ少年にも他の特少生が応援の声を掛けたりする。普段からこうして協調出来てたら本当に良かったが。
ちなみに私が仮退院までに一つの目標だったのは、腕立て伏せ100回の達成であり、思いついた作戦として、
「昨日より1回多くこなせて当たり前」と自己暗示をかけるであり、昨日70回出来たなら今日70回は出来て当然で、厳密には蓄積された疲労や筋肉が付く過程で細胞が破壊された時の痛みによって困難となる際には、「すべて言い訳であり、甘えだ」と言い聞かせた。すると70回出来ればあと1回を死にものぐるいでこなせば自己記録が達成されていくので、この考え方によって仮退院までに達成した。
社会に戻ってからも時折思ったのは、この理屈だと(限界が無くなるのではないか?)と思ったが、一番得意だった腹筋にしても300を超えた辺りから(果たして回数を際限なくこなす事に意味があるのか、また逆効果な事をしているのではないか)などと疑問が芽生え、回数が増えるに伴って時間は増えるので際限なく可能であろうとも皆しなくなるのかなと思ったりもした。
また、正しく教えられたフォームを崩してまで回数をこなしても本末転倒なので、姿勢の意識は常に重要と思った。
筋肉番付という番組で腕立て伏せの回数を競うものを見ていた折、ある選手が勝ったのだが、そのフォームは新入時寮でたまに見かけた「しているフリ」と似ていて、負けた選手の方がフォームは勿論「腕立て伏せ」をしていた。
 
中等短期、特少ともに「4」はシ、「7」はシチ、「9」はク
4をヨン、7をナナ、9をキュウと数えた時点で「番号もとい!」の号令がかかり最初からやり直しとなる。何回も間違えると苛つき始める他生が出てくるので要注意。
〈中等短期の持久走掛け声〉
週番「1、1、1、2」
寮生「そーれ」
週番「1、1、1、2」
寮生「そーれ」
週番「1」
寮生「そーれ」
週番「2」
寮生「そーれ」
週番「3」
寮生「そーれ」
週番「4」
寮生「そーれ」
週番「1234、1234、1、1、1、2」
寮生「そーれ」
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〈特少の持久走掛け声〉
指名者「12、12、12、12、1234、1234」
新たな指名者が出るまで繰り返し
【筋トレ関連】
■中等短期の体育内容
・筋トレ(腕立て・背筋・腹筋・ノーマルスクワットの四種が基本となり、パーピースクワットもよくやった)特少だとバービーと呼んでいたと思う。
20×3、20×6、30×5など先生によってまちまち
プッシュアップバーや腹筋ローラーを使わせてもらえることがあった
・体育館内持久走
①2列縦隊で掛け声に合わせる
②各自バラバラに何周走れるか(私は前半に余力を残しておいて残り3分ぐらいになると全力疾走するのが好きだった)
③先生が笛を吹くと猛ダッシュ
■特少の体育内容
入院前の体重が172センチ55キロで特少2年目頃に66キロとなったが脂肪が付く要素が無かったので自分でも驚いていました。
手紙に詳細な体重と時期が分かると思います。

・筋トレ(腕立て・背筋・腹筋・ノーマルスクワットを基本形にバーピースクワット、スプリットスクワット、ジャンピングスクワット、ピストルスクワット、ハーフスクワット、側筋=サイドプランク(久里浜M先生)etc)
久里浜から転勤されたM先生特別メニュー
・サイドプランク/サイドブリッジ
・リバーストランクツイスト
・ツイストクランチ
・サイドクランチの亜種
・レッグツイスト
・V字腹筋(筋トレメニューの中で唯一嫌いだったもので、面白くない
・その他(要手紙確認)
笛を吹くと猛ダッシュして2列横隊の後ろに付かせるもの。
久里浜M先生は趣味のトライアスロンで他所から仕入れて来たり、コピーして取り入れていた。
その中に自衛隊の訓練もあった。
新入時U先生メニュー
・腕立て連続100回
・筋トレ基本四種+αを20×6セットあたりでインターバルを挟み延々と繰り返す。この時、途中で基本姿勢を乱したり断念したものは申告または指摘されて後ろに下がり休めの姿勢で待機。
・行動訓練の上記Version(集中力がかなり研ぎ澄まされていく。後半の速度になると「自分は精密機械である」と自己暗示をかけていく。私が得意だった自己暗示を良い方へ利用出来たのもこの訓練がきっかけでした。旗上げゲームのように途中で引っ掛けて来たり、「回れ左」、「左向け前へ進め」など咄嗟に理解して応用を利かせないと無理な号令が入るのでめっちゃ面白いですよ)だからずっと新入時でも全く良かったんだよな・・まあ溶接科も楽しかったけど新入時の訓練はマジで面白い
・新入寮主任の定番メニュー「花火」
初等宇治時代にされていた定番メニューとのことで、少年刑務所でも「ヨイショ!ヨイショ!」としているような事を聞かされました。(天突き体操だ)
先生が「ヨイショ!」と言うと、新入生が「ヨイショ!」と続きワイドスクワット姿勢から両腕を天に突き上げて拳を開く。
私たちは花火と呼んでいたが少年刑務所では名前が違っていた筈。(しかし始める時の号令は「天突き用意!」または「天突き体操用意!」)
花火は基本的に回数を無視して法務教官が「よし、辞め〜」と言うまで延々と続きます。大体5分ほどf:id:Jezreel:20220125051014p:plain

・アシュタンガヨーガ・自衛隊ロシア軍中国人民解放軍の訓練映像・クンダリーニ、各自重応用